普段、何が困るかと言って、「ご職業は?」と聞かれた時ほど困ることはない。いったい「作家」の方々は、そう聞かれた時に何と答えていらっしゃるのだろうか。
むろん、そう質問してくる相手にもよる。たとえば公認会計士や医者であるなら問題はない。会計士は企業の税務から、売れない芸能人の確定申告書に至るまで、あらゆる分野の職業に就く人々を相手にしているし、医者は医者で、これまた患者の職業と病気が関連してくるため、世の中には様々な職業があるものだ、と初めからわかってくれている。「ご職業は」と聞かれて「はい。ヘロインの密売人をやっております」と答えたとしたって、医者ならば大して驚かないだろう。
だが、その他のケースではこうはいかない。かつて東北新幹線の中で、隣に座ったオジサンたちのグループにビールを勧められたことがあった。断るのも悪いので、少しつき合ったのだが、そうなると、話題は自然に双方の職業の話になる。
「で、おたくは何の仕事をしてるんスか?」と聞かれ、ちょっと迷って「物書きです」と答えた。
「へえ、偉いんだねェ」とオジサンたちは感心したように私を見た。「んじゃあ、センセイ、仙台には何の用事で行くんだすぺ?」
「講演を頼まれて……」
「ほーっ!」オジサンたちは一斉にどよめいた。
この時点まで、私はオジサンたちに私の職業のことが通じていると思っていたのだ。なにしろオジサンたちは、若いのに偉い、とか、やっぱり才能がないとできないことだ、とか何とかガヤガヤと騒いでいたからである。
やがて列車は仙台に着いた。すでに相当、酔っぱらって眠っていたオジサンのひとりが、目を覚まし、降りようとしていた私の背中に向かって「ところでセンセイは何のセンセイなんだすぺ?」と聞いた。「アホタレ!」と別のひとりが叱った。「何度言ったらわかる? センセイは立派な偉い、書道のセンセイなんだ」
「そっか。書道の先生だったかぁ」
「んだよ。ほんでもって、仙台で書道の展覧会やるっちゅって、忙しいンだ」
「そっか。立派な字ィ、書いて、センセイ! これからも頑張ってけろ!」
……以上、実話であります。
その他にも「物書き」というと、「漫画家」と勘違いする人、「文筆業」というと鉛筆会社に勤めているんじゃないか、と思う人など、様々である。
「作家です」と答えていいのだが、こう答えるのはちょっと抵抗がある。芥川賞か直木賞を受賞した人のことを作家と呼ぶのだ、と思いこんでいるような人たちにむかって「作家です」なんていう答え方はまっとうな答え方ではないだろう。ミステリーを書いています、と答えてもいいかもしれないが、これでは脚本家と間違われる可能性もある。
それに「作家」なんて世間の屑《くず》だ、と信じている人間も多数いる。愚にもつかないことを書いて、昼間っから酒を飲み、働きに行くこともせず、いい年してネクタイも締めたことがない(女の作家の場合は、これに「ろくに家事もできないくせに」という一言が加わります)、あんな人間どもはインテリを鼻にかけただけの屑だ……と思っている方々である。
そういう人たちがローン会社の中にいると悲劇である。私は以前、某社でローン支払いのためのカードを作る時にいやな目にあった。「文筆業」「作家」「物書き」……そのいずれも通用しない。「作家であることはわかりました。ですが、当社の場合、年収その他の証明をいただかないとちょっと……」と言う。
あんまり頭にきたのでその足で近所の書店に行き、自分の本を買って来て見せてやった。ちょうど女子社員の中に私のことを知っている人がいてくれたため助かったが、そうでなかったらいったいどうなっていたのだろう。
ところで先日、わが家では警察の巡回訪問を受けた。例の皇居爆弾事件以来、過激派対策に乗り出しているのだろう。かなりしつこく職業について聞かれた。文筆業というのが彼らにはわからない。昼も家にいらっしゃるんですか、などとぬかす。
おまけにわが家は主義として入籍していないので、ツレアイとは苗字《みようじ》が違う。苗字の違う男と女が、子供も作らず、文筆業だと主張して昼も家にいる……というのが彼らにとって気に喰わないらしい。仕方なくミステリーを書いているのだ、と教えてやったが、その年若い巡査が知っていた作家の名前は赤川次郎だけだった。まったく、「作家」が生きていくのも楽じゃないのである。