どういうわけか、原宿のファッションビル『ラ・フォーレ』あたりに多いのだが、最近、�異人種ハウスマヌカン�がやたら目につく。
売り子が、ハウスマヌカンなどというカッコいい職業名を与えられてから久しく、そのせいか、ちょっと前までのように、商品に関する知識が皆無という人は少なくなったが、それにしても、あの人たちは私にとって�異人種�である。
まず客を迎える態度。あの、「いらっしゃいませえ」と言う妙な抑揚をつけた裏声を聞くたびに、あれはそう言わねばならないキマリになっているのだろうか、と暗澹《あんたん》たる気持ちにさせられる。
「いらっしゃいませ」と普通、私たちが言う時、「い」から「ませ」までの抑揚は、ほとんど平坦であるはずである。やや、「ませ」の部分が下がり気味になることもあるが、大した違いはない。「いらっしゃいませ」という言葉のもつ優しい穏やかな抑揚は、言葉自体が平坦なアクセントで語られてこそ相手に伝わるわけである。
ところが、マヌカンたちのおっしゃる「いらっしゃいませ」はまるで違う。「い」から「らっしゃい」までは、妙に上がり気味になり、「ま」で頂点に達して、一挙に「せ」でガクンと落とすのだ。
つまり、わかりやすく書くと「いらっしゃいませええ」となる感じで、これは完全にストリップ劇場の呼び込みと同じ発音の仕方なのである。
「いらっしゃいませええ。踊り子さんの身体には手を触れないように、お願いいたしますう。いらっしゃいませええ」……このノリと同じなのである。
ひとりから言われるのならまだ我慢できる。しかし、たいていの場合、あの人たちは三、四人で束になっていらっしゃる。
ということは、店に一歩、足を踏みこんだ途端、「いらっしゃいませええ」が連呼されるわけである。おお、来た来た、と思い、すぐにでも出たくなるのだが、生来、気が弱いので、そのまま立ち去ることができない。
背中に粟《あわ》をたてながら、精一杯の努力をして、「目の保養に来ました」という涙ぐましい演技をする。マヌカンの方々は、宇宙人みたいなわけのわからない化粧をして、私のやることをじっと見つめておられる。
とそこへ、「客」としての私が店にいたことに気づかなかった別のマヌカンが奥から出ていらしたりする。律儀にもその方は大声で「いらっしゃいませええ」とがなりたてる。すると不思議なことに、もう挨拶《あいさつ》は終わったはずの他のマヌカンたちも、つられて再度「いらっしゃいませええ」を繰り返すのだ。
我慢の限界にきた私は何事もなかったように……とっても素敵なお店だけれど、あいにく私の探していたお洋服は見つからなかったわ……的な表情を作りながら、そっと店を立ち去る。
背中が「ありがとうございましたああ」の裏声の集中攻撃を受ける。言うまでもなく、この「ありがとうございましたああ」というのも、ストリップ劇場のノリそのもの。何も買わなかったのに「ありがとうございました」と言われる筋合はない、などというこだわりを超えて、あれはいったい何だったのだろう、と私は首をひねりながらエレベーターで一挙に出口へ向かう……というのが、最近の傾向になってしまった。
まあ、マヌカンの中にも実に気持ちのいい応対をしてくれる人もいる。こればっかりは趣味の問題で、「いらっしゃいませええ」を連呼してくるような店が好きな方もおられるのだろうから、そういう方たちにはご自由にと言うしかない。
あともうひとつ困るのは、買物をしていて、やたら話しかけてくるマヌカン。「どういったものをお探しですか」に始まって「これは新しく入った商品なんですが、どう? ちょっと試してみたら」とおせっかいをやき、「そうねえ」と口を濁しているとじっと側に立って、こちらがあれこれ手にとったものを片っ端から説明し始める。
こっちは、「この色、あのスカートに合うかしら」とか「この値段じゃ高すぎる」と計算しているというのに、その間も与えずに喋《しやべ》りっ放し。
いい加減に疲れてぼーっとしていると、
「ね? ね? これ、いいですよ。絶対、素敵だわ」などと押し売り。
これをふりきって店を去っていけるというのは、相当の図々しさと人生のキャリアが必要なわけで、気が弱い私としては、やっぱりしぶしぶ財布を開いてしまい、結局またマヌカンという人種が嫌いになってしまうのである。