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猫を抱いて長電話17

时间: 2020-08-09    进入日语论坛
核心提示:男はメルヘンに生き、女は 私はいわゆる�風変わりな人�というのが、結構、好きである。 ほら、よくいるでしょう。近所のオバ
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 男はメルヘンに生き、女は……
 
 私はいわゆる�風変わりな人�というのが、結構、好きである。
 ほら、よくいるでしょう。近所のオバさんたちが集まる場所などで、「あの人、変わってんのよねえ」「そう。でも、とってもいい人なのよねえ」「ホントホント。変わってるけど、いい人なのよねえ」「あたし、あの人みたいな人、好きだわ」「あたしも。絶対、憎めないもの」「そうよ、そうよ」……なんていう形で会話に登場してくる人物が。
 そして、実際、その人に会うと、「なるほど。変わってるけど、いい人だ」としみじみ思えてしまう人が。
 私はそんな人が好きなのである。「ごく普通の常識家なのに、いやな奴」と比べたら、風変わりであることのほうが、よほど素敵である。昔、日がな一日、野山を歩き回り、スケッチをし、夜は夜でアパートにこもりきりになって絵を描いている熱心な画家(と言ってもまったくの売れない画家だったが)の女性と話をしたことがある。その人はおしゃれにも食べることにもまったく無関心で、風変わりを絵にかいたような人だったにも関わらず、喋《しやべ》っていると何か暖かいものが伝わってくる童女のような人だった。
 さて、最近、たて続けにTVで、�風変わりな男�をふたり見つけた。ふたりとも有名人ではない。無名の男たちである。
 ひとりは写真家。この人は�水�しか撮影しない。いわば�水�の写真家である。水がはねている小川や滝や、光がさしている池、湖……彼が手がけた�水�の写真は、すべて抽象的である。そう言われないと、そこに写っているのが�水�なのかどうか、わからない。
 司会者に「失礼ですが、収入になるんでしょうか」と聞かれ、彼は恥ずかしそうに「そちらのほうは妻に頼りっぱなしです」と微笑んだ。
 そして、もうひとりはクマ研究家。この人は、クマ……ことに北海道のヒグマの生態を研究、観察することに命を捧《ささ》げている。ヒグマを生け捕りにし、麻酔注射を打って、体のサイズを計り、探知機のついた首輪をセットする。そして、半年でも一年でも、雪にまみれ、雨に打たれながら、そのクマ君を追い求め、行動様式、餌、糞《ふん》の状態、冬眠前の動きなど、ありとあらゆることを観察し、記録するのである。
 この男性も「妻に食べさせてもらっているおかげです」と照れた。
 やっていることの内容は違うものの、両者に共通するのは、俺《おれ》は社会的に価値のあることをやっているんだ……という妙な意気込みがまったくないということである。
 失礼を承知で言わせてもらえば、�水�の写真がどれほどきれいに撮影できたとしても、あるいはまた、ヒグマがどこで何を食べ、どのように動き回ったか、個人的に把握したとしても、それは社会的なレベルで言ったら、無意味に等しい。�水�の写真やヒグマの行動記録が社会的に価値のあるものになるためには、それに関わっている彼ら自身が、何らかの欲望……有名になりたい、金が欲しい、その道の権威になりたい……というような世俗的な欲望を持たねばならない。
 そうした欲望を持てば、たとえば�水�の写真はアートとして認められるかもしれないし、彼は世界に名を轟《とどろ》かせる有名な�水�写真家になって、弟子がわんさか集まるかもしれない。あるいはまた、ヒグマ研究家は、世界動物保護団体か何かの顧問や常任理事になり、ヒグマの生態が映画化され、たちまちのうちに、マスコミの寵児《ちようじ》になるかもしれない。
 そしてふたりとも、朝日新聞のインタビューか何かに答えて、「苦しい時、妻にはとても世話になりました。妻がいなかったら、今の私はなかったでしょう」などと言っていたかもしれない。
 でも彼らは多分、そうなることを期待してもいないし、おそらく考えてもいないだろうと思う。彼らが今、熱意を燃やすのは、�水�であり、�ヒグマ�なのだ。それ以外のことは考えていないに違いない。
 一般常識から言ったら、「奥さんに喰わせてもらっている男」は、それだけで非難の対象になるんだろうけど、実際のところ、女房が喜んで喰わせてやる男ってのは、魅力的なものなのである。周囲がどうのこうの言う問題ではないのであります。
 しかしそれにしても、�水�や�ヒグマ�に夢中になり、生活するのも忘れた、という女の話は聞いたことがない。男はメルヘンに生き、女は現実に生きる……というのは、やはり素朴な真実なのでしょうか。
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