近頃、巷《ちまた》の若い女性たちの間で流行ること。それはワンレングスにボディコンシャス、加えて不潔恐怖症候群……というところか。
不潔恐怖症候群というのは、いわば神経症の一種で、汚いものが過剰にいやになる、という現代人特有の症状。私の知っている或るOLは、カフェバーなどに行っても、トイレのドアノブや水洗の握りバーなどを触るのが怖くて、いつも専用のハンケチを用意し、それを使ってやっとの思いで触る……とおっしゃる。
また、別の或る女性は、会社の昼休み時間に必ず十五分もかけて、歯を磨くのが習慣だ、とおっしゃる。その際、使用する煉り歯磨も、クリニカ、ザルツ、ホワイト&ホワイト、お子様用いちご味ハミガキ……にいたるまで、種々雑多とりそろえ、ほとんど趣味に近い感覚でせっせと磨かないと気がすまないそうである。
それに最近では、朝シャン(朝のシャンプー)をする時間のない人のために、昼シャン専用の時間帯を設けた美容院もオフィス街に登場した。要するに最低、一日に一回シャンプーしないと気持ちが悪い人たちが多いわけで、このあたりの感覚を馬鹿にしようものなら、「不潔ねっ!」という軽蔑《けいべつ》に満ちたマナザシが返ってくるのである。
同時にスリム志向はますます病的で、はたから見る限りでは、ちっとも太っていないような人でも、せっせとダイエットに励み、なんだかシワシワのおばさんみたいに痩《や》せてしまっている人も見かける。
デブで不潔で流行に無関心なのは、社会の罪悪だ、と宗教みたいに信じているアメリカの影響なのか、とも思うが、いやはや、ちょっと行き過ぎだわよ、と思うことは、しょっちゅうである。
ともあれ、この清潔志向は、怒濤《どとう》のごとく人々を巻き込み、いまや、日本はどこに行ってもピカピカに磨かれたステンレスみたいになっている。若い女性の身だしなみばかりではない。世の中すべて、どこかしら、汚れた部分、認めがたいと思われるものに対し、ヒステリックに反応し過ぎてはいないだろうか。
いい加減で、無計画な生き方を排除し、毒気のある考え方を毛嫌いする。生活をまるでお花畠のように、ふわふわときれいに飾りたがり、そのお花畠の地下深く、腐った匂いが漂い始めるやいなや、半狂乱になって、修復にかかろうとする。
自然体がいい、と口では言いながら、ちっとも自然体になっていない。みんなが認める自然体というのは、回りの人々から軽蔑されない程度の気楽なライフスタイル……ということに過ぎず、人と違った個性は恐ろしくて表に出すことができずにいる。
で、何が言いたいかというと、いま、世の中を騒がせている例の中学生による両親祖母惨殺事件についてである。
あの事件を世にも恐ろしい事件だ、と言うのは簡単。あれこれ教育の現場から評論するのもまた、簡単だろう。でも、私には、あの被害者たちも加害者の少年も、共に不潔恐怖症候群に罹《かか》っていたのではないか、と思えてならない。
人と違った生き方、後ろ指をさされるような生き方を抹殺し、より安全で危険のない生き方を求める親と、思春期の少年の揺れる心。どこの家庭にもあることだが、親は子供の将来が安定することを強く望み、子供はそんな親に反発し好きな道を歩もうとする。この他愛のない亀裂が、どうして、これほどまで酷《ひど》いことになってしまったのか、というと、ひとえに社会全般の不潔恐怖感覚が、親も子も巻き込んで、身動きをとれなくしていたのではないか、と思える。
清潔で計画的で安全な将来を守ろうとする親。そして、それにしっくりしないものを感じながらも、それ以外の生き方がまるで想像できないでいる子供。百人の人間がいたら、百通りの生き方がある、という単純な事実をまるで忘れ、規格化された幸福だけを求めるのは、ものすごく不幸なことだ。
少年がせめてもう少し、冷静だったら……あるいは、周囲にひとりでもいい、親や世間に反発してもいいよ、でも自分のプライドだけを守り通せ、と言ってくれる人がいたら……こんな事件は防げていたのではないか。
ご清潔に生きることを望む父親は、世間並になりたい一心で仕事に埋没し、ご清潔に生きることを望む母親は、子供のちょっとしたズレも許さない。
朝シャン、趣味の歯磨、ダイエット程度ですめばいいが、清潔志向はこのままいくと、人間の心を画一化し、あるいはこうした酷い第二第三の事件の原因を作り出さないとも限らないと思うこのごろである。