コバンザメという、可愛い魚がいる。大きなサメの腹のあたりにくっついている、子ザメみたいな、あれである。
あれはサメの子供なのだと言う人もいるが、それは間違い。彼らは�ジョーズ�たちとは何の関係もない、赤の他人、もとい、他魚である。
よく、会話の中で、「あいつはコバンザメみたいに俺《おれ》のまわりをうろちょろし、甘い汁を吸いやがる」などという使い方をされたりする。まあ、いい意味で引き合いに出されることが滅多にない、気の毒な魚でもある。
しかし、この「うろちょろして、甘い汁を吸う」というのは、実はコバンザメの生態を言い得ているわけではない。コバンザメが大ザメにまとわりついているのは、ひとえに「泳ぐのが面倒」だからなのだ、という説がある。
彼らの背中には特殊な吸盤がついている。それを使ってぴったり大ザメに吸いつく。一方、大ザメは元気にあふれているから、獲物探しに海の中を一日中、回遊している。くっついてさえいれば、しかるべきエサ場に連れて行ってもらえる、という寸法だ。つまり、彼らは大ザメがつかまえたエサを横取りするためにくっついているのではない、という説が有力なのである。
彼らのことをナマケモノと言うのはたやすい。サカナのくせして泳ぐのが面倒だなんて、サカナの風上にも置けない、という意見もあろう。でも、彼らは滅多に自分では泳がないが、自力でエサを捕まえ、食べるのである。一応、自立はしているのである。そのうえ、誰にも迷惑はかけていない。悪口を言われる筋合は、さらさらないのである。
これは人間にとっても理想の形と言える。たとえば、何を隠そう、この私。自慢じゃないが、無趣味、ぐうたら、出不精……の、人間としてあるまじき三大欠陥を兼ね備え、さらにそのことを反省もせず、自慢げに人に語るという悪しき性格にも拍車がかかるばかり。
たまたまくっついたツレアイが、私に輪をかけた面倒くさがり屋だったため、相乗効果を引き起こし、今や二人して、コバンザメさながらの暮らしに憧れるという、恐ろしい結果になってしまった。
たとえばの話。これまで会話にのぼった計画を列挙してみよう。英会話を二人で習いに行こう。二人で手軽なフィットネスクラブに入会しよう。懐石料理を家で作ってみよう。週末は必ず、都内に新しく出来たレストランを探険してみよう。レンタカーで月に一度は遠出をしよう。スキューバダイビングのライセンスを取ろう。冬はスキーに行こう。年に一度は海外に行こう。家の中の模様替えをしよう。週に一度は手分けして念入りに掃除をしよう……。
これ、すべて実行された試しがない。次いで、私に関する計画。
汚くなった寝室のソファーに手製のカバーをかけよう。毎日、バラエティに富んだメニューを考え、料理の腕を磨こう。昼寝をするのはやめよう。車の免許を取りに行こう。洗濯物を溜めるのはやめよう。テニスの腕を磨こう。家計簿をつけて、支出のチェックをしよう。少しは財テクに関する知識を身につけよう。もっとマメに出版社関係のパーティーに出席しよう。面倒臭がらずに、あちこちに旅行し、新鮮な感動を味わおう……。
これまた、すべて、実行された試しなし。次、ツレアイの計画。
洗濯機の回し方を覚えよう。電子レンジの使い方を覚えよう。筋肉をつけるために、トレーニングマシーンを買おう。ペーパードライバーにならないよう、マメに車を借りて運転しよう。草野球をしよう。アメリカのバーボンを全部、集めよう。たまには好きなマージャンをしよう。ゴルフを始めよう。せめてジャガイモの皮が剥《む》けるようになろう。得意料理をマスターしよう……。
同じく、実行された試しなし。
我々が面倒に感じないのは、仕事をすることだけ。ワープロに向かい、締め切りの近づいた小説原稿を書くこと以外、何もする気がない。買物も面倒。彼の場合は着替えるのも面倒、と言うのだから、何をか言わんや、である。
仕事を終えたら、大ザメみたいなものが現れて、こちらの吸盤をくっつかせると、マーケットや本屋、図書館などに連れて行ってくれないものだろうかと思う。帰りはまた、大ザメの腹を借りて、一足飛びに家に戻る。誰に迷惑をかけるでなし、締め切りも守っているわけだから、文句もなかろう。銀行への振り込み、モロモロの郵送手続き、日々の買物、義理のおつきあい……生きていくには煩雑なことが多すぎる。ああ、私はコバンザメになりたい。