仕事柄、時折、読者から手紙をもらう。私など、本当に少ないほうで、有名作家たちにはアイドルタレントよろしく、ドカドカと手紙が舞い込むらしい。
物書きはたいてい自宅の住所を公表していないから、手紙は出版社の編集部気付になる。そして開封されないまま、担当編集者の手により、自宅に転送されるわけだ。
手紙の大半は、むろんファンレターである。あの作品のこういうところが良かった、感激した、頑張ってください……というような手紙を読者からもらうのは、何よりも嬉しい。そうか、そうか、よしよし……上機嫌になり、神棚にあげて手を打ちたくなる心境にかられる。
中には、身の上相談の手紙もあり、長々と、やれ不倫の恋に悩んでいるだの、離婚しようかどうか、迷っているだの、前後の説明も何もなく、自分のことだけをぐちゃぐちゃと書き連ねてくる人もいる。こういう自分勝手な人からのぶ厚い手紙は、いちいち読んでいると時間の無駄になるだけだから、放っておく。返事が来ると思いこんで、日々、ポストを覗《のぞ》き、あげくに「返事をくれなかった!」と怒って、本を買ってくれなくなるかもしれないが、数からいったら、ほんの四、五人。四、五冊、本が売れなくなったとしても、こちらとしては痛くも痒《かゆ》くもない。
困るのは、異常な読者からの手紙が来てしまうことだ。
或る作家は、「あなたと結婚します。ついては、某月某日、荷物をまとめて上京しますから、出迎えに来てください」と書かれた女性からの手紙を受け取り、大笑いした。たちの悪い冗談だと思ったらしい。ところが、手紙は続々と続いた。この結婚は神の定めた宿命なのだから、私は喜んで従う……などという意味不明の言葉が羅列してある。作家は次第に薄気味悪くなってきた。
そのうち編集部にも電話がかかってくるようになった。新居を探さねばならないから、よろしくお願いします、などと言う。写真が何枚も送りつけられ、ウェディングドレスの相談をされたりする。
結局、このおかしな女性は、勝手に上京して来たところを編集者に押さえられ、作家本人の自宅のまわりを徘徊《はいかい》されることなく終わったようだが、聞いているだけでぞっとする話だった。
私にも似たような経験がある。どこの誰だかわからない男から何度も何度も�熱愛�の手紙を受け取り、正直な話、街のどこかで見張られているんじゃないか、と不安になったことがあった。
こういう人は決まって、頭がバカではない。バカどころか、結構、教育水準が高い場合もある。この種の人にありがちと思われる誤字脱字も少ない。
だから一見、正常のように見えるのだが、注意して読んでみると、異常さはじわじわと伝わってくる。
まず、対象との距離が取れていないことだ。受け取り人とは一面識もないにも関わらず、あたかも咋日まで酒をくみかわしていた相手のように語りかける。その薄気味悪さは、この種の手紙を受け取ったことのある人でなければわかるまい。見も知らない人にこちらの情報が伝わっていて、一方的にあれこれと説教され、こちらは相手のことを何ひとつ知らない、というのは相当、こわいことだ。
それから、文章の中に、ヒステリックな絶叫のようなものが混じっているのも大きな特徴である。ごく一般的な挨拶《あいさつ》文の途中から、突然、感情的になり、「あんな作品は反吐《へど》が出る」とか「あんたに失望したから、あんたみたいな人は死んだほうがいい」とかいった調子に変わったりする。文章に一貫性がない。そのくせ、最後にはまた元に戻り、「風邪をひかないように、頑張ってください」などと続いて終わるわけだ。
去年だったか、編集部のほうに送られて来たものはひどかった。
あろうことか、私の本が同封されており、本の各ページに赤ペンで「死ね」だの「恥を知れ」だの、とてもここでは書けないような言葉が走り書きされてあった。
臆病《おくびよう》で暗い内向的な人間のしわざとは思うが、それにしても、自分がこういう類いのものに煩わされる立場にいることを痛感させられた。
物書きなんてのは、本当は気が弱く、怖がりなのだ。表向き偉そうに装っていても、実はうじうじ、ぐちゃぐちゃしているのが普通である。怖い手紙、ショックな手紙を受け取れば、日がな一日、クラーイ気分になる。仕事が手につかなくなる。それをザマアミロ、と思うあなたは異常。気の毒に、と思うあなたは正常なのです。