作家という商売は、実に一般人に理解されにくいところがある。
まずたいていの作家は事務所を持たない。自宅の他に仕事場を持っている人もいるが、そこに秘書や電話番を置いているケースは稀《ま》れである。玄関の表札だって個人名となる。その部屋が何に使われているのか、実際に中に入ってみなければ誰もわからない。
それに作家は生活が不規則である。忙しくなると朝方まで仕事をし、翌日は昼過ぎまで寝ていることもあるし、逆に早朝から起き出して仕事をし、夕方にはもう、ベッドへ入っていることもある。
ミステリー作家が執筆に疲れて、丑《うし》三つ時に、ふと思いたって散歩に出ることだってある。パトロール中の警官に「失礼ですが、どちらへ」と聞かれ、「別に」と答える。
「何をなさってたんですか」「アイデアにつまずいてね」
「何の?」「完全犯罪の方法だよ」……これでは、立派な要注意人物だ。
それに加えて、一般市民から見ると考えられないほど非常識な時間帯に人が作家の家を訪ねて来ることもある。編集者は深夜だって原稿を取りに来る。原稿を渡して、ハイさよなら、ということはまずない。当然、「お疲れさま。まあ、一杯やってけや」ということになる。飲めば声が大きくなる。近所に声が漏れる。あそこの家はいったい何をしている家なんだろう、と思われるのはしょっ中だ。
また、作家は仕事柄、いろいろな本を資料として買い集めてくる。時として「爆弾の作り方」とか「毒物研究」「武器の構造」などという本も必要となったりする。こういった本がずらーっと書棚に並んでいるのを誰かが見たら、こいつはいったい何者なんだ、と思うだろう。
近所の喫茶店で編集者と原稿の打ち合わせをする場合、ミステリー作家は声を低くして語らねばならない。「例の殺人はやはり完全犯罪を狙ったもので……」とか「青酸カリはやはり、あの場合はまずいかも……」とかいった話をひそひそしていると、必ず周囲の怪訝《けげん》な視線を浴びることになるからである。
先日……例の大喪の礼が間近に迫った或る日のこと。突如としてわが家に警察の交通課と名乗る刑事が訪れた。表向きは当日の交通規制についての話だったが、その実、眼光鋭い、いわゆる過激派探しのローラー作戦部隊であることはすぐにわかった。
こういう時、わが家は非常に困るのである。まず第一に、うちはツレアイともどもミステリーを書いているので、昼日中からふたりともヨレヨレの恰好《かつこう》をして机に向かっている。
アイデアに詰まったり、原稿が遅々として進まなかったりしている時に、突然、チャイムが鳴ったら、「ちょっと、あなた、出てよ」「おまえ、出ろよ」と互いに知らんぷりを決めこもうとし、結局、玄関を開けるのが遅くなる。当然、玄関に出たほうは、原稿のことで頭が一杯で、目つきが悪くなる。訪問者に対して、威嚇するような顔をしてしまう。
まして、わが家は玄関を開けるとすぐに、廊下にまで流れ出した本の山が丸見えになる。視力のいい人なら、そこに「ザ・殺人術」などという本を見つけるのもたやすいかもしれない。
ふたりとも仕事中は、狂ったように煙草を吸うので、室内は煙でもうもうとしている。訪問者はドアを開けた途端、煙の匂いを嗅ぐことになる。
わが家の玄関は、一般家庭の玄関とは縁遠い。収納力のない狭いマンションだから、玄関の壁一面にコートやブルゾンなどが引っ掛けてあるし、片側の壁は洋書のペーパーバック本がずらり。レースの敷物に置かれた一輪差しもなければ、気のきいた絵が掛かっているわけでもない。ひたすら殺風景で汚くて暗い玄関の三和土《たたき》には、しまい忘れた男物の靴、女物の靴、サンダル、スニーカーなどが散乱し、まるで五、六人の人間が通って来ているようにも見える。
「ご職業は」と聞かれ、「もの書きです」と答え、なおかつ玄関がこれでは、過激派対策に血まなこになっている警察が、密かに要注意人物のリストに載せたとしたって、不思議はない。疑い深い刑事なら、私やツレアイが本物の銃を取材するため、猟銃店にでも行こうものなら、「それいけ」とばかりに徹底的にマークしてくるだろう。まったく迷惑千万の話である。
とはいえ、「小説書き」が立派な市民権を与えられてしまうのにも抵抗がある。もともと小説書きなどという仕事は、まともな仕事じゃなかった。あまりまともに市民権を得てしまうと、いいものが書けなくなるかもしれない。難しいね。