パスポートを申請する時は、ふつう、所定の書類と共に、旅行代理店で作成してもらう申請用紙を提出しなければならない。
先日、ツレアイがその申請用紙をもらうために、旅行代理店を訪れた。現住所や本籍など、サラサラと用紙に書きこんでくれていた代理店の女性が、「緊急連絡先」の欄でふと手を止めた。
「あのう……」と彼女。「この同居なさっている小池さんという方が、緊急の連絡相手でよろしいんですね?」
ツレアイは「はあ」と答える。「それが何か?」
「あのう」と彼女はまたもじもじする。「……続柄は何とお書きすればよろしいんでしょうか」
「続柄? ああ、�内縁�でいいんじゃないですか」
「内縁……ですか? でも……そのう……」
「内縁じゃ、連絡先にならないんですか?」
「いえ、そうじゃないんですけど……でも……」
彼女は慌てた様子で、別の男性社員を連れて来た。事情を聞いたその社員も、そろってもじもじする。「内縁っていうのも、何ですし……妹とか、従姉妹《いとこ》とか、そんなふうに書いておきましょうか」
ツレアイはビビった。小池真理子なる人物は、彼の妹でも従姉妹でもない。法律上はまったくの他人である。赤の他人のことを「妹」だの「従姉妹」だのと偽って申請書に記入するのはどう考えてもマズイ。
「それはマズイですよ」と主張する彼にむかって、代理店の社員たちは「じゃあ、空白にしておきましょう」と結論を出した。「旅券課の人に聞いてみてください」
怪訝《けげん》に思いながらも、彼は旅券課の窓口に行き、�続柄�の欄を指さして言った。「内縁なんですけど、そう書いてはいけないんでしょうか」
窓口で応対したのは、人のよさそうな初老のオジサンだった。オジサンは「うーん」と唸り、首をひねり、ちらりとツレアイの顔を眺め、それからおもむろに言った。「内縁だなんて……そんな……ねえ? わかった。いっそのこと、�知人�にしときましょうよ。ね? それがいいですよ。�知人�。うん。やっぱりそれがいい」
で、オジサンはそこにさっさと�知人�と書きこんでしまったのだ、という。
この話を帰ってきたツレアイから聞き、私も彼も爆笑し合った。�内縁�と�知人�とでは、言葉のもたらす印象はえらく違ってくる。男女の関係を表現する上で、それは天と地ほどの差がある言葉と言っていい。これこそ、贋《にせ》の申請になるのではないか。
わが家は�入籍しない結婚�をしてから六年たっている。今も入籍するつもりはない。よほど入籍していないことで困った事態がおこらない限り、今後も同じ形のまま暮らしていくだろう。
籍を入れるか入れないか、で男女のつながりが変化することはないのだ、という一種の証明を自分たちで行っているわけだが、なかなか世間の反応はユーモラスだ。
きっと旅行代理店の人も、旅券課のオジサンも「内縁」という手垢《てあか》のついた言葉に嫌悪感を持っていたのだと思う。「内縁」という言葉から連想されるイメージが頑固に彼らの頭の中にあるらしい。四畳半のアパートでのしみったれた同棲《どうせい》生活。あるいは、どちらかに法律上の配偶者がいて、入籍できない、という関係。世をしのび、人目を避け、ひっそりとただれた関係を続ける男女……といったところか。だからこそ、なるべくならそんな言葉を使わせたくない、とする同情心が湧いたに違いない。
要するに、ツレアイは同情されたわけだ。それで、ふたりの関係が、「他人」と同義語に等しい「知人」になってしまうのだから、世間というのはまことに親切、お節介、野暮、というものである。
不動産を共同名義で購入し、銀行ローンを利用しようとする時も、私たちは入籍していないことで、野暮な質問をシャワーのように浴びなければならなくなる。つまるところ、信用されにくいわけで、これは正直なところ、ちょっとムッとするところがある。ローン返済の見通しがたっていさえすれば、人が入籍していようがいまいが、あんたらには関係ないでしょうが、と言いたくもなる。
入籍しないでいると、このように世間の様々な反応が見られて実に楽しい。今度、「入籍しない結婚をしている人間が遭遇した滑稽《こつけい》な出来事」と題する本でも書いてみようかしらね。