ちょっと前まで、男は泣かないものとされていた、愛する人に死なれた時に泣くのは当然としても、それ以外では、滅多やたらと涙なんか見せないのが普通だと思われていた。
実際、学生時代に関わった男たちについてあれこれ思い出してみるのだが、私も彼らが泣いたのは見たことがない。
たとえば一緒に映画を見に行って、悲しいシーンになったとしても、連れの男が喉《のど》をひくひく鳴らして鼻水をすすり上げたことなんか一度だってなかった。
せいぜいが、映画館を出て明るい太陽の下で見た時に、目がうさぎのように赤くなっている程度であり、それにしたって、「あなたも泣いちゃったでしょ」と言えば、「まさか。そこまではいかなかったよ」などと強がる程度。
若気のいたりの、ひどくつまらない喧嘩をし、あげくに別れるの別れないの、という話になった時、相手の目がうるみ、目もとが歪み始めるのを二、三度、目撃したことがあるけれど、あれも泣いたうちには入らないだろう。第一、泣き声など聞いたためしがないのだ。
もともと男があまり泣かないのは、精神構造のせいではなく、ただ単に男子として泣かない教育を受けてきたせいだろう、と考えていたので、別に不思議はなかった。ほんとに、かつての男は老いも若きも泣かなかったものだ。
ところが少しずつ事情が変わってきた。男が泣く……というのを初めて不思議な思いで見たのは、例のロス疑惑で世間を騒がせたM……をテレビで見た時である。
彼は実によく泣いた。豪快で手放しのその泣き方には、明らかにちょっと胡散《うさん》臭いものが見え隠れしていたが、それでも、愛する妻を暴漢に殺された男……という筋書を思えば、それなりに芝居は上出来だったと言える。
あのころからだろうか。別にM……がきっかけになったわけではないだろうが、泣く男が目につき始めた。
若い女性たちの話を聞いていると、「喧嘩したんだけど、彼、泣いちゃって……」とか「ゆうべ、ちょっと文句言ったら、彼がしくしく泣いて、だから今朝、彼は目が腫《は》れてるの」といった内容が、俄然《がぜん》、増えてきているのに気づく。
知り合いの或る若い女性は、よく泣く男を恋人に持っていて、そのために喫茶店で泣かれて大弱りした、とぼやいていた。その意味では明らかに旧世代に属する私は、興味津々で質問を飛ばす。泣くって、いったいどうやって泣くの? おいおい、と口に腕をあてて泣くの? それとも、真っ直ぐ前を向いて嗚咽《おえつ》をこらえるの?
彼女は答える。「あら。普通に泣くんですよ」
普通って?「だから、普通に泣くんです。女の子が悲しくなって泣く時みたいに、しくしく、って」
おやおや。喫茶店で男にしくしく泣かれたら、女はいったいどうやって取りつくろえばいいのだろうね。そんなマニュアルはどこを探してもないだろうに。
最近の男が泣くのは、何も恋人同士の間に限ったことではない。スポーツ界でも、屈強な男たちが実によく泣く。
先日、入団五年目にして初めてホームランを打った若い選手がおいおい泣いていたのをテレビで見た。よほど嬉しかったのだろう。ホント、手放しの泣き方で、見ているうちに、これはひょっとして高校野球? と思ったほどだ。
あとは、居酒屋の片隅などで、何やら酔っぱらって、自分の言葉に酔い、涙してる若い男も見たことがあるし、陶酔きわまって、男どうし肩を抱き合いながら、鼻水をすすり上げている光景に出くわしたこともあった。
あるいはまた、テレビのCMにもその傾向は表れている。
鹿賀丈史の出演するウィスキーのCMは、自宅で感動的なビデオを見ながら、思わず涙を流す男のCMだ。あんなCMは昔はなかった。家族みんなでテレビ映画を見ていて、ああ、ヤバイな、涙腺《るいせん》が切れそうだ、と思うと、男はたいてい、わざとオナラをしてみせたり、ゲップをしたりして、ごまかしていたものだ。
泣くのは女、男は泣かないもの……とされていた不自然な図式は、ここにきて完全に崩れ始めているようである。女が歯を食いしばって泣くまいとする顔が、美しいのと同様、男が男社会のルールに逆らって、手放しで泣く姿は、逆の意味で美しく見えることがあるのかもしれない(時と場合によりますがね)。
泣くからといって、弱い存在とは言えない。涙はヒトの強弱とはとりあえず無関係である。そのことを知って素直に泣ける男は、わりと好みではある。