しかし、どう考えてみても、私には不愉快千万な話なのだ。宇野さんの女性スキャンダルのことである。
多くの識者たちの御意見は、大方、一致している。いわく、女性を性の道具として扱い、あろうことか金で買ったような男が、一国の総理大臣になるなんて、もっての外。女性|蔑視《べつし》は人間蔑視、人間差別につながるのは必至だから、そんな奴に政治を任せるわけにはいかん……と。
むろん、その通り。ごもっともである。反論する気はさらさらない。だが、ここで私が言いたいのはもっと別のこと。即ち、過去を楯《たて》に取って、かつては何が目的であろうが、一応は「愛してるわよん」と囁《ささや》いたであろう男を社会的に貶《おとし》めようとする、女性の�悪意�である。
これは宇野スキャンダルだけに限らない。過去の肉体関係を暴露して、マスコミに売り、有名人気取りでインタビューを受ける人が、何と後を絶たないことか。そして、その大半が女性だということに、お気づきだろうか。
そりゃあ、裏切られれば誰だって腹はたつ。惨めな思いをして泣きあかし、恨みを抱くことだってある。しかし、しかしですよ。そんな男を選択したのは、アンタなのよ、と私は言いたい。
寂しかったから、お金が欲しかったから、恋愛ごっこをしてみたかったから……理由は何でもいい。男と女の関係は、男の選択によってのみ生まれるものではない。男と女がそこにいて、たまたま互いに互いを選択し合ったからこそ生まれるものなのだ。それをあたかも、自分は最初から受け身であったかのようにふるまい、しかもその個人的な閨房《けいぼう》のエピソードを公にし、あろうことかそれによって相手の男を糾弾《きゆうだん》したつもりになるなど、私にはもう、理解を超える話だ。
男が過去に関係した女を恨んで、似たようなスキャンダルを意図的に流すこともまったくないわけではない。ニャンニャンしちゃった写真を雑誌に公開されてしまった若手女優がいたが、あれは確かに男が女を社会的に貶《おとし》めてやる目的で仕組んだことだった。だが、写真を売り込んだ当の少年は、自分がしてしまったことの重大さに悩み苦しみ、その後、自殺した。
痛ましい話ではあるが、女性を世間に売った男には、ふつう、このような形での苦悶《くもん》がつきまとう。何故かって? 男のほうが女よりも社会性を強いられてきたからだ。
人格の程度の高さ低さに関わりなく、男社会に生まれた限り、社会性なくしては生きていけないのが男である。過去の女を世間に売ったところで、売った男は馬鹿にされこそすれ、決して同情されはしない。浅ましいことをする奴だ、よっぽどモテなかった馬鹿な男なんだろう、と逆に総スカンを食らう。
そのことを薄々知っているから、男は女への恨みつらみを世間に公表するようなことは滅多にしない。そういうことをするのは、よほどのヤクザか、性格異常者、あるいは子供だけだ。
有名人としての女性と関わった男だけではない。普通の女性と関わった男とて、同様である。たとえ相手の女性をどれほど恨んだとしても、あたりかまわず悪口をばらまき、その女性を貶めてやろうと薄汚いことをする男は非常に少ない。
男が恨みつらみを発散させようとすると、たいてい、暴力事件に発展する。相手の女性を殴る。傷つける。
暴力に訴えない男は、女性不信に陥り、人生に絶望するのみ。こうした男と女の違いは大きい。
これだけ女性の社会進出が増え、風潮の上でも男女平等が当然のこととされている今日でさえ、なお、一皮むけば相も変わらぬ程度の低い男がいる。また同様に相も変わらぬ被害者意識を持ち出し、社会性のかけらもないくせに、手前勝手な正当論をぶつ女が後を絶たない。これはいったいどうしたことなのだろう。
程度の低い者同士が、蔭で秘密を暴露し合っているだけなら害がなくていい。だが、今回は告白したほうが元芸者サン、されたほうが一国のソーリダイジンだったために、多方面に騒ぎの種をまきちらすことになった。
私に言わせれば、告白したほうもされたほうも、どっちもどっち。本気で宇野サンの失脚を狙って�告白�したのなら、あの女性に拍手を送ろう。だが、彼女はおそらく違う。恨みつらみを晴らしたかっただけなのだ。
結局、日本の男の程度の低さと、日本の女の程度の低さを見せつけられただけのような気がする。あんまり双方の程度が低すぎて、これが政治スキャンダルだということすら忘れてしまいそうだ。