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猫を抱いて長電話35

时间: 2020-08-11    进入日语论坛
核心提示:ネコ飼えば わが家では今、メスの三毛ネコを飼っている。訪れた人の様々な反応は見ていると興味深い。 まず一番多いのは、「可
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 ネコ飼えば……
 
 わが家では今、メスの三毛ネコを飼っている。訪れた人の様々な反応は見ていると興味深い。
 まず一番多いのは、「可愛いネコですね。何という名前ですか」と型通りの質問をする、いわば�常識型�。この人たちはたいてい、ネコの歓迎の挨拶《あいさつ》(……クンクン匂いを嗅ぎ、手をひと舐《な》めするという、うちのネコ特有のもの)を甘んじて受け、無視することなく、かといって過剰に気をまわすこともなく、ネコはネコ、人間は人間、という距離を保って接する。
 次に多いのは「動物なんでも大好き人間」。女性に多いかと思いきや、さにあらず、意外と男性にも多い。中には熱狂的なネコ好き男性もいて、うちにいる間中、ずっとネコを抱きしめ、いやがって暴れる彼女にしこたま引っ掻《か》かれ、血が流れてもなお、ニコニコしているスゴイ人もいる。このタイプは、たいてい自分でもネコを飼っており、定期入れに妻子の写真ではなく、飼い猫の写真を入れて持ち歩いていたりする。ほとんど谷崎潤一郎の小説の世界だが、普段のいかつい目つきが動物を見るとデレッとヤニ下がるところなど、七変化を見ているようで微笑ましい。
 数は圧倒的に少ないが、明らかにイヌネコ嫌いという人も何人かいる。訪問先に大嫌いなケモノがいた時の嫌悪感は、動物嫌いでなければわからないだろうが、それにしても気の毒ではある。彼らは客人である限り、イヌネコのいる家によばれて、「イヌネコは嫌い」とは言えない。従って我慢に我慢を重ねるわけで、その我慢のせいだろうか、いささか会話がうわの空になったりする。別にペット自慢をするつもりはないが、普段、愛想のよかった人が、動物を見て眉をひそめたりするのを見ると、�正体見たり�という気にさせられるのが辛い。
 この種の客人が帰った後は、ネコは欲求不満を解消すべく、家中を走り回ったりする。愛されるはずだったのに相手にされず、ヒスを起こした人間の悲哀を見るようで、なんだかもの悲しい。
 このように人間は動物と接する時に、もっとも素直な自分を暴露することがある。どれほど頑なに殻を閉ざしている人でも、どれほど普段、対人関係で巧妙な演技をしている人でも、動物を相手にすると正直になってしまう。そこが面白い。
 動物とは言葉によるコミュニケーションができない。自分はおまえを愛してるんだよ、大好きなんだよ、決して捨てたりしないよ、ということの表現も、言葉では伝えきれない。身体表現を使わねばならない。頭を撫《な》で、抱きしめ、頬ずりをし、時にはじゃれ合い、レスリングのまねごとをし……という具合に。
 その表現方法はきわめて原始的だ。だからこそ、そこに人間の本性が現れる。人間社会の仮面をかなぐり捨てないと、動物とは直に関わっていけないのである。
 先日、楽しい光景を見た。今、住んでいるマンションのベランダで洗濯物を干していた時のこと。ベランダからは向かいの家の裏庭が見下ろせるのだが、そこにその家のオジサンが現れた。日曜の午後のことだ。庭いじりでもするつもりだったのだろう。手には小さなシャベルを握っている。
 このオジサン、犬小屋の前に立った。雑種と思われる大きな犬がオジサンに向かって尾を振っている。オジサンは犬をじっと見下ろした。無表情にただ、見下ろしているだけだ。
 犬が精一杯、シッポを振っているのに、オジサンは応えない。頭ひとつ撫でようとしない。あれれ、ずいぶん、冷たい飼い主だな、あのシャベルで犬をぶん殴る気かしら、とヒヤヒヤして見ていると、オジサンは周囲をキョロキョロし始めた。静かな午後だった。あたりには誰もいない。むろん、オジサンは私が見下ろしていることなど気づかない。
 オジサンはやおら、地面に座り込んだ。そして両腕を一杯に拡げて犬を抱きしめた。ものすごい抱きしめ方だった。もう、愛して愛して、おまえのためなら死んでもいい、というくらいの抱きしめ方だ。抱きしめ、キスをし、犬の顔をぐしゃぐしゃにかきまわし、それでも足りずにまた抱きしめる。犬は喜んでオジサンを舐《な》めまわす。
 そこに、オバサンが出て来た。オジサンはパッと犬から身体を離し、まるで浮気の現場を目撃された時みたいに、そそくさと家の中に入って行った。オジサンは犬を相手にした時だけ素直になれるのだろう。ワカル、ワカル、その気持……と私は深くうなずいたのであった。
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