妹がまだ六つか七つのころのことだ。ある時、ヤブ蚊をうまく殺すことができた彼女が、「ほら」と言って私や両親の目の前に自慢げに殺した蚊を見せに来た。
「カガ殺したよ」と妹は言った。え? と聞き返す。何度、聞き返しても、妹は「カガ殺した」としか言わない。
父親が「蚊が殺した、んじゃなくて、蚊を殺した、って言うんだよ」と、テニヲハの基礎を教えこもうとする。だが、妹は頑として「カガ殺したんだもの」と言って譲らない。
何を言っているのか、よく理解できなかった私が、ふと思いたって彼女が殺した蚊をつまみあげ、「ねえ、これ、何ていうの」と聞いてみた。妹は「カガ」と答えた。
そう。彼女はみんなが「蚊がいる、蚊がいる」と言うのを聞いて、人を刺す虫が�カガ�である、と思いこんでいたのだった。
この種の思いこみは、愚妹には尽きず、三十に近くなった今も�我孫子《あびこ》�という地名を平然と�がそんし�と読んで周囲の失笑をかう悲しい習性があるのだが、まあ、内輪の恥をさらすのはこのくらいにしておこう。
思いこみは誰にでもあるものだ。我孫子を�がそんし�と読んでいたからといって、別段、他人に迷惑をかけるわけではない。地名や人名を誤って読んだせいで、その人の知能程度が本気で疑われるようなこともない。かえって、ご愛嬌になったりもする。思いこんでいたことを素直に認めることによって、人との関係が深まり、恋や友情が芽生えたりすることだってあるのだ。
だが、思いこみを通り越して、知識や一般教養に対する無関心さが度を越すと、これはちょっと問題である。
先日、ビートたけしが出ているTV番組で「現代の若い女性が、どれほど古い結婚観から解放されているか」ということを調べるために、面白い実験を行なっていた。
�貞操��後家��石女�などという漢字が書かれたカードを道行くOLや学生に見せて読ませ、意味がわかっているかどうか、質問したのである。制作側では、それらの漢字が読めるかどうか、をテストしたのではなく、あくまでも、これらの因習深い言葉の語源を彼女たちが理解しているかどうか、をテストしたわけだ。
ところが蓋《ふた》を開けてみると、予想しなかった結果が現れた。まず�石女《うまずめ》�が正しく読めた女性は皆無。イシオンナ、セキジョ……えーっ、何これ、石みたいに固い女っていう意味ぃ? それとも女子プロレスのことかしら……という具合。
�貞操《ていそう》�を正しく読めて、意味を把握していた人は二割程度。えーっ、ウッソー、これって、正しい体操っていう意味なんじゃないのぉ?……という方もいらっしゃいました。
�後家《ごけ》�ともなると、珍回答が続出。ゴヤ? ゴカ? ウシロヤ? 何なんだろ、ワカンナーイ、セカンドハウスみたいな家のことを言うの? 違うのぉ? ワカンナーイ、こんなの知らないもん……。
�石女�を正しく読んで、意味を言える人が少ないのはわかる。ウマズメなどという言葉は、現代において、確かに死語となりつつあるし、いくら国語の辞書の中で生きていたとしても、若い女性たちが知らないのも無理はない。
だが、貞操、後家という言葉は、死んだ言葉ではない。現代語として未だに生きているし、いわば常識でもある。これらが読めない、意味がわからない、となると、相当一般常識、一般教養に欠けているとしか言いようがない。
一般常識や一般教養などなくても、充分、朝シャン、ワンレン、ボディコンで楽しく生きていけるのだろうし、そんなものに関心を向けている暇があったら、世間に遅れをとらないよう、せっせと情報誌をめくって、新しいブランド商品を買いに行き、新しく出来た話題の店でエスニック料理でも食べたほうがいい、と彼女たちは思っているのかもしれない。
でも、正直なところ、私はモノ書きの一人として、�貞操��後家�が読めない女性が圧倒的に多かったことに、多大なショックを受けている。漢字が読めない、意味もわからない読者に向けて、私はいったい、何を書いたらいいのだろう。今後、作家は自分の小説に、ひとつひとつ漢字の意味を書き加えていかねばならないのだろうか。
ともあれ、これ以上、「キレイだけど頭はカラッポ」の日本女性が増えないよう、心から祈っている。