最近、二十代前半の男の子たちが何だかおかしい。ヘンである。
もちろん、一口に二十代前半の男の子といっても、いろいろな人がいるし、十把一からげにして語れるものではないということは、充分承知している。でも、それにしてもヘンなのである。彼らの世代に共通しているものが、なんだかありそうな気配がするのである。
まず感じるのは、「無表情」ということ。顔に表情が乏しい。あんまり笑わないのだ。ごく親しい仲間や身内の間では、ゲラゲラと馬鹿笑いするが、一歩、社会に出ると突然、顔に能面シールでも貼《は》ったように無表情になる。
私が通っている美容院のシャンプーボーイ君を例にとろう。彼はおそらく二十一、二歳。背が高く、痩《や》せていて、なかなかファッショナブルでもある。そのシャンプーボーイ君、客が店に入っていくと、「いらっしゃいませ」と言う。シャンプーをしている最中には、「痒《かゆ》いところはありませんか」と聞く。終わると「お疲れさまでした」と言う。店を出る時は、どこからともなく「ありがとうございました」という声が聞こえてくる。しかもその言い方たるや、テープに吹き込まれた機械の声と同様、単調で人間味がない。こわいくらいに一本調子なのだ。
彼の目には光がない。感情の動きが見られない。彼を見ていると、突然、シャツのポケットからアーミーナイフを取り出して、周囲の人間を切りつけたとしてもちっとも不思議ではないようにさえ思う。はっきり言って、ちょっと不気味なのだ。
時々、彼がどんな反応をするのか試してみたくて、無難な冗談などを言ってみるのだが、それでも彼は笑わない。ちょっと困ったように唇の端を歪めるだけ。質問しても「はい」と「いいえ」を交互に繰り返すだけだし、それ以上の会話を始めようとすると、居心地の悪い沈黙が広がるばかり。
だが、彼はもくもくと働く。ロボットのように、と言ってもいい。何かこちらが頼むと、無表情のままではあるが、頼まれた通りのことを忠実にやってくれる。真面目で正直で、信頼もできる。ナイフを持たせたら怖そうだが、子猫などを抱かせたら、それなりに似合ってしまいそうな雰囲気もある。
世の中にはこんな人種もいたんだ、と知った時は、いささかショックだった。ことあるごとに私は彼の話を持ち出して、「ねえねえ、変わった男の子がいたのよ」などと彼のことをみんなに教えてやったりしていたのだが、あにはからんや、世の中、あのシャンプーボーイ君のごとき若者がゴロゴロしている、と実感することになるとは。もうほとんど、私など竜宮城から帰ったばかりの浦島太郎の心境である。
インタビューに来るフリーライターの若者とか、雑誌、広告、その周辺をうろうろしている彼らのタイプは、皆、どこかあのシャンプーボーイ君と似ている。マニュアル通りの会話はできるのだが、少しでもそこから話題がはずれていったり、自分の知らない話題が出てきたりすると、さっさと殻を閉ざし、沈黙してしまうのだ。
二十一、二歳の男の子が三十ン歳のオバハンを目の前にして、共通の話題を探し、あれこれ取り入る……という光景も気持ち悪いものだが、いくら共通の話題がないからといって、能面のように表情をなくされると、もっと気持ち悪い。こちらは自分が年上であることを意識して、彼をリラックスさせようと冗談を言って笑わせようとするのだが、どんな冗談を言っても笑わない、というツワモノも中にはいる。あんまり笑わないから、こちらも「夜のヒットスタジオ」の加賀まりこみたいに、いやったらしい熟女ふうのイヤミを言ってみたくなり、「ねえ、ちょっと、あんたって面白味のない男ねぇ。女を口説く時も、そうやって渋い顔をしてるわけ?」なんて、苛《いじ》めてみたりするのだが、それでも笑わなかったりされると、お手上げである。
昔は能面のように無表情の男には、その下に隠されている様々な感情が垣間見《かいまみ》えて、いかにもセクシーだったものだ。ニヒルである、ということは、混沌とした感情を隠し、風に吹かれて生きようとする男の気取りをさした言葉なのであって、いまどきの若いアンちゃんたちみたいに、何もないのに渋い顔をしているのは、ただのアホである。
そこへいくと、女性たちは何と表情豊かなことか。どうせ、若い男の子たちは世紀末に向かってゾンビみたいに生きていくのだろうから、もう「女の時代」なんて言葉も当然すぎて、死語となりつつある。