たいていの女は、ゲイバーに行くことが嫌いではない。オカマと聞いて、眉をひそめ、「いやあだ。あたし、そういう人って嫌いなの」と本気で言う女性とはお目にかかったことはない。これは不思議な現象である。
一方、意味もなくオカマが嫌いな男は多い。玉三郎の女装は許せても、オカマたちの化粧や女装はキモチ悪いと言う。
TVのミスター・レディ・コンテストなんかは、結構、面白がって見るくせに、実際にオカマを目の前にすると、落着きがなくなり、そそくさと帰ろうとする人もいる。「若くて美人ならいいよ。でも、どうしてオレが、あんなババアのオカマの相手をしなきゃいけないんだよ」と言いわけがましく言う人もいる。
もっとも最近では、整形手術の発達により、どう見ても女にしか見えない人も大勢、登場しているし、普通の男たちが化粧する御時世だ。女装した男のことを毛嫌いする人は減ったようだが、それにしたって、女の子たちが「オカマ、大好き。きれいじゃない」なんて、無邪気に言うほどには、ファン層は薄いような気がする。
ゲイ、ホモ……など、倒錯したことに対して、大らかでいられるのは、実は男よりも女のほうであるらしい。とはいえ、それも他人事として見る時だけに限られる。わが身に災難がふりかかってきたら、そうも穏やかにしてはいられまい。
先日、機会があって、仲間たちと久し振りに夜の六本木に出た。とある店で、仲よくカラオケに興じていた時のこと。
隣のグループの中に一人、若い男がいた。グループは男女混合の七、八人のグループで、全員、ごく普通の会社員といった感じ。同じ会社の上司と部下たちだったのだと思う。その若い男も普通のサラリーマンタイプで、背広を着て、きちんとネクタイをしめ、どこの職場にもいそうな、特徴のない顔をしていた。
店には私たちグループとその会社員グループの二組しかおらず、二つのグループは交互に歌を歌う形になった。
男は私たちグループが歌っている時にしゃしゃり出て来て、気をひくようなしぐさをし始めた。踊ってみせたり、笑いかけてみたり。うっとうしい奴だな、と思ったが、初めは単に酔っぱらっているだけなのか、と思って無視していた。
やがて彼はカラオケステージの譜面台にしがみつくようにして、歌い手の顔を見つめ始めた。どうも様子がおかしかった。一緒になって歌うわけでもなし、かといって、野次を飛ばすでも、言いがかりをつけるでもなし、ただステージの前に立ちふさがり、うっとりした目つきで歌う人間の顔を見つめているだけなのである。
私たちの仲間には私を含めて女は二人しかいなかった。同席していた男たちからは「気をつけろよ。あいつ、なんか目つきがおかしいよ」なんて言われたものだから、私たちはてっきり、その男の目的が私たち女性軍をからかうことなのだと思いこんだ。
ところが時間がたつにつれ、その男の行動パターンがはっきりしてきた。男は私のツレアイが歌い始めると、やおらステージに上がり、ツレアイの顔を舐《な》めまわすように見るのである。他の人が歌ってもじっとしている。ツレアイが歌う時だけ、脱兎のごとく自分の席から駆け出し、彼を見つめるのである。
ひょっとして、と思い始めた時、店のママがそっとやって来てこう囁《ささや》いた。「ごめんなさいね。あの人、あちらのケがあるのよ。真理子さんのご主人に一目|惚《ぼ》れしたみたい」
ギェーッ、と驚いたのは言うまでもない。誓って言うが、私のツレアイにはそちらの趣味は皆無である。同時に、そちらのケのある人間に言い寄られた経験もない。
そう。倒錯した世界は一般大衆にまで広く浸透してきたのである。普段はフツーの市民であり、フツーの人間としてフツーに生きているのに、その実、深くねじれた倒錯世界を抱いている人間が増えてきたのである。
女が亭主や恋人を男に奪われ、男が妻や恋人を女に奪われる可能性も出てきた。男だから、女だから、といって安心してはいられない。
私は倒錯した世界に対して寛大な物の見方ができる人間だが、自分の亭主にチョッカイを出す�あちらのケ�を面白がれるほどお人好しではない。テキが女であれ、男であれ、同じこと。あたしの男に色目を使わないでよっ、とゲキを飛ばし、ツレアイをかばいながら店を出た。男になったみたいで刺激的だった。これぞ倒錯の一夜だったのだろうか。