五月の中旬に、東京のマンションを引き払い、ここ軽井沢の地に引っ越してきた。
軽井沢……と聞くと、大半の人々は、㈰原宿のごとき、旧軽井沢の華やかなメインストリート㈪ギャルたちが歓声をあげるテニスコート㈫ギャルたちが歓声をあげるゴルフ場㈬夏になると、皇室一家も滞在する日本でも最高級のリゾート地㈭気取って食べるフランス料理㈮緑色の風を受けて走るサイクリング㈯何か秘密めいた恋が起こりそうな予感のする霧の朝……等々を一瞬のうちに頭に思い描き、「軽井沢に新居を建てるなんて、よくそんなお金があったわね」などと目を丸くするようだが、これが困る。実際、本当に困るのである。
確かに軽井沢には、こうしたイメージが定着しているところがある。物価も高いし、東京と同じか、それ以上の高級志向がある土地である。ことに夏の軽井沢には、日本を代表する有名人たちがわんさかやって来て、ヨダレの出そうな大きな別荘に滞在し、BMWだのベンツだのを乗り回しては、夜、高級レストランでお食事なんぞをする光景があちこちで見られる。
それに確かに軽井沢の土地は高い。旧軽井沢の古い別荘地ともなると、東京の麻布あたりと変わらない値段で売買される。五年後には新幹線が通り、東京・軽井沢間は、わずか一時間十分で結ばれる。ほとんど通勤圈になるので、そのために、今、当地ではマンション建設のラッシュだ。
温泉はあるわ、居ながらにして森林浴はできるわ、野鳥の宝庫で、どこに行っても珍しい鳥が見られるわ、超一流のホテルが五つも六つもあるわ……で、まあ、日本中、どこを探しても軽井沢ほど歴史のある高級リゾートはないと言っていい。
でも、わが家は同じ軽井沢でも中心部から相当、はずれた山のてっぺんにある。当然、車がないと、どこにも行けない。信じられないかもしれないが、五年前に購入した時、土地はわずか坪あたり四万円だった。今は少し上がったようだが、それでも中心部から比べると、格安である。
山のてっぺんなので、気温は旧軽井沢あたりよりも二、三度は低い。夏はいいですよ、夏は。でも、冬は極寒の地。最低気温がマイナス十五度にも二十度にもなる。
だから新居には全館、温水式の床暖房を敷設した。だが、それとて灯油が切れたらおしまい。二週間に一度は、タンクを満タンにしておく必要がある。
それに、山を降りて、買物に行くのに、冬場は命がけになる。雪は少ないが、気温が低いために路面が凍結してしまうのだ。いくら四駆の車とはいえ、一冬に一度は、スリップして車体を木にぶつけるのは覚悟しておかねばならない。
こんな所だから、新聞配達もなし。新聞は郵送してもらうので、その日の夕方にならなければ読めない。まして、冬場、雪が続いたら、郵便屋さんも登山不可能となり、郵便物は自力で�下山�して取りに行かねばならないというわけ。
一応、別荘地になっているので、家はたくさん建っているけど、この山に住んでいるのはわが家を含めて二世帯だけ。夜は文字通り、漆黒の闇。なーんにも見えない。いるのは無数の蛾と昆虫だけ。
そう。軽井沢という土地は奥が深いのだ。軽井沢に関する情報は、常にリッチで優雅でロマンティックなものばかりだが、それは軽井沢という土地を表現した、ごく一部のイメージでしかない。実際の軽井沢は、都会人が想像もつかない厳しい自然条件を隠し持った土地なのである。
だが、自然は厳しければ厳しいほど美しい。わが家の窓という窓からは、朝から晩まで、自然の移り変わりを目のあたりにすることができる。高原の天候は変わりやすい。午前中、さんさんと光があふれていたと思ったら、午後には突然、雷が鳴り、大雨が降り出したりする。そして雨が上がれば、再び緑が光で満たされる。
空気が緑色に染まる中、木々の梢の向こうに八ケ岳の山々が見える。雨があがった後は、樹液の匂いがあたり一面、たちこめる。カッコウが鳴き始める。それはもう、ほとんど何物にも代えがたい美しさ、感動だ。
おかしな言い方かもしれないが、ここに来てから、私は人間が自由であったことを感じ始めている。そう。人間はどんな所でも住めるほど自由だったのだ。長い間、都会に住んでいた私はそのことを忘れかけていたようである。