声のほうを見あげる陽子の手のなかに、剣が押しこまれる。それにはかまわず陽子はふりかえる。背後の上空に翼を広げた巨鳥の姿が降下してくるのが見えた。
悲鳴をあげた。逃げられない、ととっさに思った。
逃げるよりも落下してくる鳥のほうが速い。剣なんて使えない。あんな、ばけものに対峙《たいじ》する勇気なんてない。身を守る方法がない。
太い脚の鉤爪《かぎづめ》が視野いっぱいに広がった。目を閉じたかったが、できなかった。
目の前を白い光が走って、堅い激しい音がした。岩と岩とを打ちつけたような音をたてて、斧《おの》のように重量感のある鉤爪が顔のすぐ前で止まった。
とめたのは剣、剣を鞘《さや》からなかばまで引き抜いて目の前にかかげたのは、ほかでもない自分の両腕だった。
なに? と自問するひまもなかった。
陽子の腕が残りの刀身を引き抜いて、抜きざまコチョウの脚を払う。
赤い血が散って、生暖かな温度をともなって陽子の顔に噴きつけた。
陽子は呆然《ぼうぜん》としているしかなかった。
断じて剣を使っているのは陽子ではない。手足が勝手に動いて、狼狽《ろうばい》したように浮上するコチョウの片脚を斬《き》って落とす。
また鮮血が飛沫《しぶ》いて顔を汚した。ぬるいものが顎《あご》から首をつたって、衿のなかに入ってくる。その感触に陽子は震えた。
陽子の足は血飛沫《ちしぶき》をかわすようにその場をさがった。
宙へ逃げ出した巨鳥は、すぐさま態勢を立て直して突っ込んできた。
その翼に斬りつけながら、陽子は自分の体が動くたび、動きにしたがって冷えたぞろぞろとする感触が身体をつたうのを感じる。
──あれだ。あの、ジョウユウとかいうばけもの。
翼を傷つけられた巨鳥が、奇声をあげながら地に突っ込む。
それを視野にとらえながら、陽子は悟《さと》る。
あのジョウユウとかいうばけものが自分の手足を動かしているのだ。
身悶《みもだ》えするように羽ばたいた巨鳥は、地を巨大な両翼で叩くようにして陽子に向かってきた。
陽子の身体はよどみなく動いて、身をかわしざま、その胴を深く斬って捨てる。
生暖かい血糊《ちのり》を頭からかぶって、手には肉と骨を断つおぞけのするような感触が残った。
「いや」
口は陽子の意思によってつぶやいたが、身体は動きをやめなかった。
血糊が身体をつたうのもかまわず、地面に落ちてあがくコチョウの翼に深く剣を突き立てる。刺し貫いた剣をそのまま引いて大きな翼を斬り裂いた。
そのまま陽子の身体はきびすを返して、奇声をあげ血泡を噴いてのたうつ首に向かった。
「いや。……やめて」
巨鳥は転がるようにして傷ついた翼を大きく打ちふるっていたが、翼はもはやその体重を浮上させることができなかった。
陽子の腕は、音をたてて宙を扇《あお》ぐ翼を避けて胴を刺し貫いた。とっさに目をそむけたが、ぶよぶよとした抵抗を斬り裂く感触が手に残る。
その剣を抜きざま振り上げ、躊躇《ちゅうちょ》なくその首にふりおろした。首の骨に当たって剣が止まる。
あらためて粘《ねば》る血肉から引き抜いてふりあげ、赤く染まった首を今度は完全に斬《き》り落とし、そのまだ痙攣《けいれん》している翼で剣をぬぐったところで手足の勝手な動きが止まった。
陽子は悲鳴をあげて、やっと剣を投げ捨てた。