息をしたとたん、全身が痛んだ。特に胸の痛みがひどい。
とっさに両手を顔の前にかざして、陽子はかるく息をついた。そこには爪も、赤い毛並みも見えなかった。
「………………」
声にならない安堵《あんど》のため息をつく。なにが自分におこったのか原因を思い出そうとして、はたと記憶がよみがえった。あわてて体を起こそうとしたが、身体が硬直したように強《こわ》ばって動かない。
ゆっくりと何度か息をして、それからそろそろと身を起こした。深い息をくりかえすあいだに、痛みはゆるやかに引いていく。半身をおこした陽子の身体からパラパラと松の葉がこぼれ落ちた。
──松。
確かに松葉のようだった。周囲を見わたすと松林、頭上を見あげると折れた枝の断面が白い。そこから墜落してきたのだろうとわかった。
右手はしっかり今もなお、剣の柄《つか》をにぎりしめていた。よくも放さなかったものだと思い、ついで自分の身体をあらためて、よくも怪我《けが》をせずにすんだものだと思う。細かいかすり傷は無数にあったが、怪我と呼べるほどの傷は見当たらなかった。ついでに、なんの変化もない。
陽子はそろそろと背中を探る。スカートのベルトにはさまれて失いもせずにすんだ鞘《さや》を引き出すと、それに剣を収めた。
白い靄《もや》が薄く流れている。夜明け前の空気が漂っていた。波の音が響いている。
「それであんな夢をみたんだ……」
気味の悪い返り血の感触と、バケモノと戦わされた経験、そうして、波の音。
「……最低」
つぶやいて、陽子は周囲を見わたした。
あたりは浜辺によくある松林に見える。海の近く、夜明け前。そして自分は死にもせず身動きできぬほどの怪我も受けていない。──それが陽子の得た情報のすべてだった。
林にはなんの気配もなかった。おそらく敵も近くにはいない。そうして──味方も近くにはいない。
海面に映った月の影からすべり出たとき、月は高いところにあった。今は夜明け。それほどの時間、自分がひとりで放っておかれたからには、ケイキたちとはぐれたのにちがいない。
──迷子《まいご》になったときは動かないこと。
陽子は小さく口の中でひとりごちた。
きっとケイキたちが探してくれるだろう。あんなにえらそうに守ると言っていたのだから。軽はずみに動けば、かえってすれちがってしまうおそれがある。
そう考えて身体を近くの幹《みき》にもたせかけると、さやにむすびつけられた珠《たま》をにぎってみる。あちこちの痛みがそれでゆっくりと引いていった。
不思議だと、そう思う。
あらためて珠を見ても、ただの石にしか見えない。ガラスっぽい光沢の、とろりとした青をしていた。青い翡翠《ひすい》があるとすれば、こんなものかもしれない。
そんなことを考えてから、堅《かた》く珠をにぎりなおす。じっとそこに座ったまま目を閉じていた。