「遅い……」
彼らはなにをしているのだろう。どうして自分をこんなに長時間放っておくのだろう。ケイキは、カイコは、ヒョウキは。
陽子は迷ったすえに口に出してみる。
「……ジョウユウ、さん」
まだ自分の身体にとり憑《つ》いているはずだ。そう思って声をかけたが、返答はなかった。自分の体をあらためてみても、そこにジョウユウのいる感触はない。もともと剣をふるうときでなければ、いるのかいないのかわからない相手だから、はぐれたのかどうかわからなかった。
「いるの? ケイキさんたちはどうしたの?」
何度聞いてみても、なんの応答も気配もない。
不安が頭をもたげた。ひょっとしたらケイキたちは、陽子を探したくても探せないのではないだろうか。墜落する直前に聞いた悲鳴がよみがえった。敵の群れのなかに残してしまったヒョウキはぶじなのだろうか。
不安に押されて立ちあがった。ギシギシ悲鳴をあげる身体をなだめて立ちあがり、あたりを見わたす。周囲は松の林、すぐに右手に林の切れ目が見える。とりあえずそこまで行くのは危険なことではないだろう。
林の外はボコボコとした荒地だった。白茶けた土に低い潅木《かんぼく》がしがみついている。
その先は断崖《だんがい》だった。断崖の向こうは黒い海が見える。昨夜見た海も黒かったが、夜のせいだと思っていた。夜が開けた今になってもあんなに暗いのは、海の色じたいが相当に深いからなのだろう。
陽子は引きよせられるように崖へ向かって歩いた。
デパートの屋上から見おろしたほども崖の高さはある。そこから海を見て、しばらく陽子は呆然《ぼうぜん》としていた。
高さのせいではない。足元に広がる海の異様さに打たれて。
海は限りなく黒に近い紺《こん》に見えた。水面に下っていく崖の線をたどってみると、水に色がついてるわけではない。むしろ恐ろしく澄んでいる。
それは想像を絶するほどふかい海の、深海にわだかまる闇が透明な水のせいであらわになったような印象を与えた。光が届かないほど深い底を見おろしている、という感覚。
そのふかい海の、深いところに小さな光がともっている。それがなんなのかわからないが、砂粒ほどに見える光が点々とともり、あるいは集まって薄い光の集団を作っている。
──星のように。
目暈《めまい》がして陽子は崖に座り込んだ。
それはまさしく宇宙の景観だった。写真で見た星や星団や星雲や、そういったものが自分の足元に広がっている。
──ここは知らない場所だ。
突然にわきあがってきた思考。直視しないようにしてきたものが噴き出してきて止められない。
ここは陽子の知る世界ではない。こんな海を陽子は知らない。まさしく陽子は別世界に紛れこんでしまったのだ。
──いやだ。
「うそでしょう……」
ここはどこで、どういうところなのか。危険なのか安全なのか。これからいったいどうすればいいのか。
どうしてこんなことになってしまったのか。
「……ジョウユウ、さん」
陽子は目を閉じて声をあげる。
「ジョウユウ! お願い、返事をして!」
身体の中には潮騒のような音だけ。憑依《ひょうい》したはずの者からは返答がない。
「いないの!? 誰か、助けてよ!!」
一晩がすでにたった。家では母親がさぞ心配しているだろう。父親は今ごろひどく怒っているにちがいない。
「……帰る」
つぶやくと涙がこぼれた。
「あたし、家に帰る……っ」
いったん、あふれ始めると止まらなかった。陽子は膝《ひざ》を抱いて顔を伏せる。声をあげて泣き始めた。
額が熱を持つほど泣いてから、ようやく陽子は顔をあげた。泣きたいだけ泣いて、すこしだけ落ちついた。
ゆっくりと目を開けてみる。目の前には宇宙のように見える海が広がっている。
「……不思議」
星空を見おろしている気分がした。満天の星空。水の中で星雲はゆるやかに回転している。
「不思議できれい……」
ようやく落ちついた自分を自覚した。
陽子はぼんやりと水の中の星を見つめていた。