この建物は中華街の建物を思わせる。赤く塗られた柱、鮮やかな色の装飾、なのにどこかそらぞらしい感じがするのは街の雰囲気と変わらない。建物のなかには細長い廊下が真一文字に通っていたが、これも暗く、やはり人の気配はなかった。
陽子をつれてきた男たちは、なにごとかを相談してからこづくようにして陽子を歩かせ、小さな部屋の中に押しこめた。
陽子が閉じ込められた部屋の印象は、一言で言うなら牢獄《ろうごく》だった。
床には瓦《かわら》のようなタイルを敷きつめてあったが、割れたり欠けたりしたものが多い。壁はすすけてひびの入った土壁で、高いところに小さな窓がひとつ、そこには格子《こうし》がはまっている。ドアがひとつ。このドアにも格子のついた窓があって、そこからドアの前に建った男たちが見えた。
木製の椅子がひとつと小さな机がひとつ、畳一枚分の大きさの台があって、それで家具はぜんぶだった。台の上には厚い布が貼ってある。どうやらそれが寝台のようだった。
ここはどこで、どういう場所なのか、自分はこれからどうなるのか、聞きたいことは山ほどあったが、監視者にそれを聞く気にはなれない。男たちのほうも陽子に話しかけるつもりはないようだった。それで寝台に座り、だまってうつむいている。それよりほかにできることがなかった。
建物のなかで人の気配がしたのは、ずいぶんと時間がたってからだった。ドアの前に誰かがやってきて、見張りが代わった。新しい見張りはふたりの男で、どちらも剣道の防具のような青い革《かわ》の鎧《よろい》をつけているから、警備員か警察官のようなものなのかもしれない。これからなにがおこるのかと息をつめたが、鎧の男たちは険しい視線を陽子に向けただけで、話しかけてくるわけでもなかった。
それが多少ひどいことでも、なにかがおこっているあいだはいい。放置されていると不安で不安でたまらなかった。何度か外の兵士たちに話しかけてみようとしたが、どうしても声にならない。
叫びたくなるほど長い時間がたって、陽《ひ》も落ち、牢獄の中がまっくらになってから三人の女がやってきた。先頭に立ってあかりを持った白髪の老婆は、いつか映画で見た古い中国ふうの着物を着ている。
やっと人に会えたこと、それがいかつい男ではなく女であることに陽子は安堵《あんど》した。
「おまえたちは、おさがり」
老婆は、いろいろなものをたずさえていっしょに入ってきた女たちに言う。ふたりの女は荷物を床におろすと、深く頭を下げて牢獄を出ていった。老婆はそれを見送ってから机を寝台のそばに引きよせ、ランプに似た燭台《しょくだい》を机の上におく。さらに水の入った桶をおいた。
「とにかく、顔を洗いなさい」
陽子はただうなずいた。のろのろと顔を洗って手足を洗う。手は赤黒く汚れていたが、洗うとすぐにもとの色をとりもどした。
陽子は今になって、手足が重く強《こわ》ばっているのに気がついた。おそらくはジョウユウのせいだろう。陽子の能力を超えた動きを何度もしたせいで、あちこちの筋肉が硬直してしまっている。
できるだけゆっくりと手足を洗うと、細かい傷に水がしみた。髪を梳《す》こうとして、うしろでひとつにまとめて三つ編みにしていたのをほどいた。異変に気づいたのはそのときだった。
「……なに、これ」
陽子はまじまじと自分の髪を見る。
陽子の髪は赤い。特に毛先は脱色したような色になってしまっていた。──しかし。
三つ編みをほどいた髪はかすかに波打っている。その髪の色。
この異常な色はどうだろう。
それは、赤だった。血糊《ちのり》を染めつけたように、深い深い紅に変色している。赤毛という言葉があるが、この色がとうてい赤毛と呼べるとは思えなかった。ありえない色だ。こんな異常な。
それは陽子を震えさせた。自分が獣になる夢の中でみた、赤い毛並みの色にあまりにもよく似ていた。
「どうしたんだね?」
老婆が聞いてくるのに、髪の色が変だ、と訴えた。老婆は陽子の言葉に顔をかたむける。
「どうしたんだい? べつになにも変じゃないよ。珍しいけれどきれいな赤だよ」
老婆が言うのに首をふって、陽子は制服のポケットの中を探った。手鏡を引っ張り出す。そうして、間違いなく真紅に変色した自分の髪を確認し、ついでそこにいる他人を見つけた。
陽子には一瞬、それがどういう意味なのかわからなかった。手をあげておそるおそる顔をなで、その動きにつれて鏡のなかの人物の手も動いて、それが自分なのだとわかって愕然《がくぜん》とした。
──これはあたしの顔じゃない。
髪の色が変わって雰囲気が変わっていることを差し引いても、これは他人の顔だった。その顔の美醜《びしゅう》はこの際たいした問題ではない。問題は明らかに他人の顔になっている自分、日に焼けたような肌と、深い緑色に変色した瞳だった。
「これ、あたしじゃない」
狼狽《ろうばい》して叫んだ陽子に、老婆はけげんそうな顔をした。
「なんだって?」
「こんなの、あたしじゃない!」