どの街も門の警備がきびしくなっており、旅人のあらためも注意深くなっていた。ひょっとしたら、配浪から逃げだした海客《かいきゃく》が河西にいたことが、ばれてしまったのかもしれない。小さな街では出入りする旅人の数も少なくて、人込みにまぎれて門を通るわけにもいかなかった。
しかたなく街道にそって野営《やえい》を続けて、三日目についたのは高く堅牢《けんろう》な城郭《じょうかく》に囲まれた河西よりもさらに大きな街だった。門にかかった拓丘城《たっきゅうじよう》という扁額《へんがく》で、そこが郷庁のある街なのだとわかった。
拓丘では門前にまで店があふれ出していた。
どの街も城壁のすぐ外は田圃《たんぼ》が広がるばかりだが、拓丘では門前と城壁の下にテントを広げた物売りが集まって城外市場をつくっている。城壁を取り巻く道は売り手と買い手でごったがえしていた。
粗末なテントの中に、あらゆるものがあった。門前の雑踏を歩きながら、陽子は着物を積みあげてあるテントを見つけ、ふと思いついて男物の古着を買った。
若い女のひとり旅にはトラブルがつきまとう。ジョウユウの助けがあるので逃げ出すことは簡単だが、最初からトラブルに巻きこまれずにすむのなら、それにこしたことはない。
陽子が買ったその服は、帆布《ほぬの》に似た厚い生地のもので、膝丈《ひざたけ》の袂《たもと》のない着物と短めのズボンのひと揃《そろ》い、それは農夫がよく着ている服だが、貧しい人々や慶国《けいこく》から逃れてきたという難民の中には女でも着ている者が多い。
いったん街を離れ、人目につかない物陰で着がえた。たった半月ほどのあいだに体の丸みはもののみごとに殺《そ》げ落ちて、男物の着物でもそれほどの違和感がなかった。
脂肪の落ちた体を目《ま》の当たりにして、陽子は複雑な気分になる。腕も足も苛酷な労働を強《し》いられるせいだろう、貧弱ながら筋肉の線があらわだった。家にいる頃には体重計に神経をとがらせ、つづきもしないダイエットに熱を入れていたのが滑稽《こっけい》な気がする。
唐突に青い色が目に浮かんだ。藍染《あいぞめ》のすこしあかるい紺《こん》。ジーンズの色だ。陽子はずっとジーンズがほしかった。
小学校のとき、遠足でフィールドアスレチックに行くことになった。行ったら男の子と女の子に別れて競争をしようという話になった。スカートでは動けないので母親にねだって、ジーンズを買ってきてもらったのだが、それを見て父親が怒った。
(お父さんは女の子がそういう格好をするのが好きじゃない)
(だってみんな、はいてるんだよ)
(そういうのが好きでないんだ。女の子が男の子のような格好をしたり、男みたいな言葉づかいをするのはみっともない。お父さんはきらいだ)
(でも、競争があるの。スカートじゃ負けちゃうよ)
(女の子が男の子に勝たなくていいんだ)
でも、と言いつのりたかった陽子を母親が制した。母親は深く頭を下げたのだ。
(すみませんでした。──陽子もお父さんにあやまりなさい)
父親に言われて、店に返品に行った。
(返すの、いや)
(陽子、がまんしないさい)
(どうしてお父さんにあやまるの。あたし悪いことなんてしてない)
(おまえも将来お嫁に行ったらわかるわ。こうするのが一番いいの……)
思い出していた陽子はふと笑った。
今の自分を見たら父親はさぞ嫌《いや》な顔をするだろう。男物の服で剣をふりまわして、宿がとれなければ野宿もする。それを知ったら顔を真っ赤にして怒るかもしれない。
──そういう人だもの、お父さんは。
女の子は清楚《せいそ》で可愛いのが一番。従順で素直なほうがいい。おとなしすぎるぐらい内気でじゅうぶん。賢《かしこ》くなくていいし、強くなくていい。
陽子自身も、ずっとそう思ってきたのだけど。
「そんなの、うそだ……」
おとなしくつかまればいいのだろうか。達姐《たっき》に売られていればよかったのだろうか。
陽子は布を巻いた剣の柄《つか》をにぎりしめた。多少なりとも陽子に覇気《はき》があったら、そもそもケイキに会ったときにもうすこし強い態度でのぞめたはずだ。せめてなんのために、どこに行くのか、行き先はどういう場所でいつ帰れるのか、最低限のことぐらい聞けたはずだった。そうすればこんなふうに、とほうにくれることもなかった。
強くなくてはぶじでいられない。頭も体も限界まで使わなくては、生きのびることができない。
──生きのびる。
生きのびて、かならず帰る。それだけが陽子にゆるされた望みだった。