街道を急ぐ旅人は門の前で雑踏を作る。陽子もまたその中に混じって、足を速めていた。門までの距離は五百メートルばかり。せかすように門のなかから太鼓《たいこ》の音が聞こえはじめた。それが鳴り終ったら閉門の時間である。
誰もがさらに足を速める。門へ駆け込もうとする人々がひとごみを作る。そのなかの誰かが、あ、と声をあげたのが始まりだった。
声につられたようにひとりふたりと背後の空を見あげた。雑踏のあちこちで動きがとまる。それを怪訝《けげん》に思った陽子がふり返ったときにはすでに、飛来してくる巨鳥のシルエットが鮮明だった。
巨鳥。鷲《わし》のような。角《つの》がある。八羽。
「蠱雕《こちょう》!」
悲鳴を皮切りに人波が午寮の街に向かって殺到しはじめる。陽子もまた楽俊といっしょに走りはじめたが、蠱雕のほうが速いのは明らかだった。
殺到する人々を見捨て、大きな門扉が閉じ始める。
──バカな。
中にいる自分たちだけでも蠱雕から身を守ろうという肚《はら》だろうが、空を飛ぶ魔物に門を閉ざしてなんの意味がある。
「──待ってくれ!」
「待って!!」
悲鳴がうずまく。陽子はとっさに楽俊を押して人波から飛び出した。
門に遠かったことが幸いした。門前では、自分だけでもと駆け出した人々が前の者をかきわけ、押し倒し、踏みにじって、阿鼻叫喚《あびきょうかん》のありさま。
人波から少し離れ、街へ向かって駆けながら、陽子は薄く笑う。
──ここは神だのみをしない国だ。
妖魔に襲われても、神にすがったりはしないのだ。だから、前の人間を引き倒しても先を急ぐ。旅人を見捨てても門を閉める。
妖魔に襲われるか否かは、本人の用心深さがものをいうのか? 襲われて助かるか否かは、本人の力量がものをいうのか?
「……バカが」
──だとしたら、この連中は無力すぎる。
赤ん坊が泣き叫ぶような声が間近でして、陽子はその場に踏みとどまった。間近を駆ける楽俊が陽子を振り返って声を上げた。
「陽子! むりだ!!」
「楽俊は街へ」
飛来してくる蠱雕との距離は、すでにその胸毛にある斑紋が見てとれるほどの距離しかなかった。その姿をにらんだまま楽俊に門を示し、剣に巻いた布を腕をふってほどく。
なれた感触が肌をつたう。すでにジョウユウの感触は陽子と馴染《なじ》んで違和感がない。
余裕の笑みが浮かんだ。
──むりじゃない。
蠱雕など楽なものだ。数はわずかに八羽、陽子の剣はどんな厚い肉でも貫きとおす。となれば、敵の身体が大きいのは狙いやすくてありがたいばかりだ。しかも、鳥は滑空するので間合いが取りやすい。
久々に敵にであって、笑っている自分が興味深かった。
すでに傷は癒《い》え、体力も充分、敵には負けない絶対の自信がある。ただ逃げるしかない人々の声を──海客《かいきゃく》である陽子を狩っているはずの人々の悲鳴を背中で聞くのは奇妙に誇《ほこ》らしく、愉《たの》しい。
生臭い風をまいて急降下してくる蠱雕の群れに剣をかまえた。身内で血潮《ちしお》が沸騰《ふっとう》して、荒れ狂う海の音がする。
──獣だ。
──わたしは、まちがいなく妖魔だ。
だから、敵にであって、これほどうれしい。