納屋の隅を貸してくれる者もいたし、代金を請求する者もいた。衛士を呼ばれたことも、廬の連中が集まってきて叩き出されそうになったこともある。反対につましいながらも食事を与えてくれた人もいた。
そうするうちに、労働力を提供して宿を借りることを学んだ。
泊めてもらうかわりに、翌日その家で働く。仕事の内容は様々だった。田圃《たんぼ》の手伝い、家の掃除、雑用、家畜の世話、家畜小屋の掃除、墓掘り、などという仕事もあった。
仕事によっては何日か留《とど》まって小金を稼《かせ》いだ。
仕事をしながら転々と廬を渡り歩き、トラブルになれば剣を柄って逃げる。衛士を呼ばれればしばらくはどこの廬でも警戒が厳重だったので、ほとぼりが冷めるまでは野営で耐えた。
妖魔の襲撃はたびたびあったし、徐々にその数も増えつつあったが敵と戦うことは特に気にならなかった。
歩く街道の背後に、陽子を追ってくるとおぼしき衛士たちの姿が見えたのは、そんな旅をひと月も続けたころだった。
廬に立ち寄って人と接触すれば陽子が歩いた痕跡を残すことになる。足跡を残すようなものなので、自分が追われているならばきっと追いつかれるだろうという自覚はあったから特にうろたえはしない。
山に逃げ込み、追っ手をふり切ったが、そののちには街道でたびたび衛士を見かけるようになった。
阿岸を封鎖されるのだけは怖かったので、阿岸に近づいてからは宿をがまんした。街道からもはずれて人の目に触れないよう細心の注意を払って山の中をひたすら歩く。
楽俊は阿岸まではひと月かかるといっていたが、実際に港が見えたときにはふた月が経過していた。