命も意識も、彼女の中に唐突に宿った。
目覚《めざ》めたとき、彼女は白い枝の下にいて、頭の中にはたったひとつの言葉《ことば》しかなかった。
──泰麒《たいき》
身を起こす間に、その言葉は頭の中いっぱいに満ちて、あふれると同時に彼女はすべての事柄を把握《はあく》していた。
自分が何者であるのか、なんのために存在するのか、なにがもっとも重要であるのか。
──泰麒。
それは半身を起こしたいまも、彼女の脳裏《のうり》からあふれて身内にしたたりつづけていた。
まるでしたたっていく水滴を体の奥深いところで受けとめようとするように、彼女は起こした上体を反らした。顔を仰向け、目を閉じた。涙がこめかみに向けてすべって落ち、まだ濡れている身体の中に溶《と》け入った。
力の入らない足を動かすと、足の先に湿《しめ》った土と金色のかけらが触《ふ》れた。
かけらはつい先ほどまで彼女を抱いていた殻《から》だった。土が吸った水分は、つい先ほどまで殻の中に満たされていたものだった。彼女はほんの少し前に殻の中から孵《かえ》ったのだ。彼女を抱いた金の卵は枝を離れて落下し、割れた。
彼女は卵のかけらをしばらく見やって、次いで視線を上げた。目の前には白い枝。白銀《しろがね》でできたかのような枝は頭上に伸びて、はるか上空で堅牢《けんろう》な岩盤に吸い込まれている。
枝にはいくつか、金色の果実がこぶのように実《みの》っていた。それはまだ命を宿さぬ卵なのだと、自分もついさっきまで同じようにしてそこに実っていたのだと、彼女は教えられるわけでもなく思い出していた。
命とは、そのようにして誕生《たんじょう》するものだ。
──泰麒。
彼女は四肢《しし》に力をこめて立ちあがった。また、涙がこぼれた。
涙ははじめて外気に触れた瞳《ひとみ》を守ろうとする反射に過ぎなかったが、彼女はその熱いほど暖かいものが滑り落ちていく感触を、たったひとつの言葉が身内をすべり落ちていく感触だと感じた。
泰麒、泰麒と呼ばわりながら、涙がこぼれる。
まっすぐに立ちあがると髪を枝にすくわれた。彼女は土を踏《ふ》んだ四肢《しし》とは別の二本の腕《うで》で、それをほどいた。