「──さきほどは、どうしてお泣きになったのか、お聞きしてもよろしいか」
無礼な質問かもしれないが、玉葉《ぎょくよう》は泰麒《たいき》の心情を理解せよと言った。
「……すみません」
小さな麒麟《きりん》は身をすくめるようにする。
「謝《あやま》っていただきたいわけではない。理由をおうかがいしたいのです」
泰麒はうつむいた。
「……自分が情けなかったからです」
「なぜ?」
「このままずっと転変《てんぺん》できないんだろうか、と思って。女仙《にょせん》はみんな、ぼくが転変できるようになるを待っているのに」
「女仙がそんなに気になりますか?」
聞くと、心もとなげな顔を上げる。
「はい。みんなあんなによくしてくれるのに。ぼくは麒麟だから蓬山《ほうざん》に住むことを許されて、それでとても親切にしてもらっているのに、麒麟らしいことはなにもできないんです。せめてお礼に喜ばせてあげたいのに、そんな日は来ないんじゃないかと思ったら、情けなくて……」
言っているうちにまた涙を睫《まつげ》にためる。
「お泣きくださいますな。またわたしが女仙たちに叱《しか》られます」
泰麒は目をしばたたく。
「景台輔《けいたいほ》でも女仙に叱られたりするんですか?」
「しますとも。女仙は麒麟に遠慮《えんりょ》がない」
言うと、泰麒はわずかに笑った。
「女仙を気になさいますな。あれは泰麒のお世話を申しあげるためにいるもの。泰麒が女仙の主なのですから」
「でも……」
つぶやいて泰麒はふたたびうつむく。
「ぼくは女仙がいないとなにもできません。なにからなにまで面倒《めんどう》をみてくれるひとを、そんなふうに思えません」
「泰麒は変わっていらっしゃる」
「そうでしょうか……」
それがまた、せつなげな声だったので景麒はあわてた。
──まったく、玉葉はなにを考えているのか。だから自分には向かないといっているのに。
「責めているわけではありません」
「はい……」
うなずいてから、泰麒はぽつりとこぼす。
「ぼくは、うちでもそうだったんだてす」
「うち?」
「はい。蓬莱《ほうらい》の家でも。……おばあさんもお母さんも、喜ばせてあげられなかった。いつでも失敗ばかりして、おばあさんを怒らせたり、お母さんやお父さんに溜《た》め息《いき》をつかせたりしてばかりいました」
泰麒は蓬莱に流された。あの蝕《しょく》を景麒も覚えている。あのとき、景麒もまた蓬山にいたのだから。
「汕子《さんし》が迎えにきてくれて、蓬山に来て、ぼくの本当の家は蓬廬宮《ほうろぐう》なんだと聞いて、それでだったんだな、と思いました。ぼくは本当の子供じゃなかったから、なにをしてもだめだったんだな、って。……でも、蓬廬宮でもやっぱり同じなんです。誰もぼくを叱《しか》ったり、ぼくのせいで泣いたりしないけれど、やっぱりぼくは誰も喜ばせてあげられない。時々、自分が本当はキリンじゃないんじゃないかと思います。もしもキリンじゃなかったら、ぼくは蓬廬宮にいちゃいけない。うちにいちゃ、いけなかったのと同じに」
景麒はようやく泰麒が十年暮らした場所を離れてきたことに思い至った。景麒ですら、蓬山を離れるのはなにやらせつない気がした。景麒よりも小さな──これほど簡単に泣いたり落胆したりできる生き物なら、もっとせつなかったのではないかと、そう思われた。
「泰麒は麒麟《きりん》にちがいありません」
「そうでしょうか」
「麒麟は麒麟がわかります。泰麒は確かに麒麟の気配をしておられる」
泰麒は景麒を見あげる。
「金の光のようなもの。はっきりと見えるのでわかります」
泰麒はまず自分の周囲を見わたし、ついで景麒の周囲を凝視《ぎょうし》した。
「ぼくには……見えないのですけど」
「それは、泰麒の力がまだ解放されていないからでしょう。泰麒は麒麟に間違いありません」
「じゃあ──、ぼくが蓬山にいるのは、まちがいじゃないんでしょうか。キリンらしいことはなにもできなくても?」
「まちがいではありません」
よかった、とつぶやいて、泰麒はまた目をしばたたく。
「……ひょっとして、泰麒は蓬莱のおうちが懐《なつか》しくていらっしゃるのか?」
「……はい。ときどき。女仙《にょせん》には悪いと思うんですけど」
「わたしは母親をもたないのでわからないが……お母さまが恋しいか?」
景王《けいおう》はひどく死んだ母親を恋しがった。家を懐かしみ、時にはただの娘に返してくれろ、と景麒を責める。
「景台輔もお母さんがいないのですか?」
「麒麟《きりん》にはふつう、いないのです」
「では、ぼくは恵まれているんですね」
「代わりに、女怪《にょかい》と女仙がいましたから。……しかし泰麒にはお母さまがおられた。やはりお会いになりたいものですか?」
泰麒は答えなかった。深くうつむいただけだ。
「女仙に遠慮なさることはない」
景麒が言うと、小さくうなずく。
「でも、ぼくはうちの子じゃなかったんだから、しかたないんです……」
「そうか……」
「女仙はあんなによくしてくれるんだから、寂《さび》しいなんていうと罰《ばち》があたります」
「そんなことはない」
「そうでしょうか」
「もちろんですとも」
泰麒は静かに泣き始めた。膝《ひざ》を抱いて、顔をうずめる。景麒はすっかりうろたえてしまった。やはりこれも、自分が泣かせたことになるのだろうか。
「その……泰麒」
「……ごめんなさい」
言って小さい身体《からだ》をいっそう小さくするので困ってしまう。鋼《はがね》の色の髪が落ちて、細い首が顕《あらわ》になるのが寒々しい。しっかり膝を抱いた肩も、なにやら寒そうに見えて、そわそわしたあげく、手を置いてみた。
「ごめんなさい……」
ふたたび謝《あやまる》るので困惑する。
「お謝りになる必要はない」
言うと、声を上げて泣き始めた。女仙《にょせん》がしていたように抱き寄せると、景麒にしがみついてくる。悲しんでいるのだから哀れに思って当然なのに、暖かいのが愛《いと》しい気がする。なでてやると、いっそう強くしがみついてきた。嗚咽《おえつ》のあいまに声がする。
「……うちに……帰りたい……」
「そうでしょうとも」
「お母さんに……会いたい」
それを聞いて、この小さな麒麟《きりん》は本当に寂《さび》しいのだと、そう思った。