濃い影と強い西日が交錯《こうさく》する迷路を景麒《けいき》に手を引かれて抜けながら、泰麒《たいき》は歩みの速度で故郷を思う。
迷路で遊ぶのは楽しい。学校へ行かないでいい生活にもすぐに慣《な》れた。もともと友達と遊ぶのは下手《へた》だったので、同じとしごろの子供がいない寂《さび》しさにも慣れるのが早かった。
汕子《さんし》も女仙《にょせん》も優《やさ》しい。ここでは、激高した祖母に叱《しか》られることも、それを見て祖母と母親が争うのを見ることもない。そのあとに母が泣いて、その夜に母と父が喧嘩《けんか》をする、そういう光景を見ることもなかった。両親の喧嘩のあとで、父親に呼ばれ、溜《た》め息《いき》混じりに叱責《しっせき》されることもない。
女仙は帰ってきた、と言った。自分が本来いるべき場所に帰ったことを疑問に思ったことはない。女仙は暖かい。たくさん歓迎してくれて、いくらでも優しくしてくれる。泰麒が帰ったことを心から喜んでくれているのがわかる。
──だから、いるべきでなかった場所を懐《なつ》かしむのは、女仙たちにすまない気がする。
それでもふとしたはずみに思い出すのだ。
思い出してみると、古い家の廊下《ろうか》は迷路よりも楽しい遊び場だった気がした。庭は迷宮のどの広場よりもきれいな場所だった気がする。女仙に囲まれているよりも、学校の校庭でどのグループの仲間にも入れず、ぽつんと同級生の遊びを見ていたときのほうが、ずっと楽しかった気がする。──女仙の誰よりも、汕子よりも家族のほうが優しかった気がしてしまうのだ。
今ごろは夕ご飯だろうか。母と祖母と弟で、食卓を囲んでいるのだろうか。父親は何時に帰ってくるだろう。早くに帰ってきて大きな背中を流させてくれるだろうか。
思い出せばなにもかもがせつなく恋しかった。
庭の紫陽花《あじさい》は咲いたろうか。祖母は日傘を出したろうか。喧嘩《けんか》した母はひとりで風呂場に行くのだろうか。弟は夜中にひとりで手水に行けているのだろうか。
──少しでも自分のことを思い出してくれているだろうか。
忘れられていれば悲しい。忘れずにいて、いなくなったことを喜ばれていれば、なお悲しい。いなくなったことを悲しんでいてくれれば、いっそう悲しかった。
「……泰麒」
泣きそうになっていた自分に気づいて、泰麒はあわてて瞬《まばた》きをくりかえした。
「はい」
「少し紫蓮宮《しれんきゅう》にお寄りになりませんか」
泰麒は景麒の顔を見上げる。景気の表情には相変わらず変化がなかったが、泰麒の手を握った大な手は暖かかった。
「でも、玉葉《ぎょくよう》さまが」
「少しだけです」
「……はい」