沐浴《もくよく》し、礼服に改めた泰麒《たいき》を、漆黒《しっこく》の衣装に身を包んだ蓉可《ようか》が迎えにやってきた。
慶事には黒を用い、凶事には白を用いる。蓬莱《ほうらい》とは逆なのだと、泰麒はすでに知っていたが、それでも女仙《にょせん》たちの黒衣はひどく暗示的に思われた。
──なんて、不吉な。
蓉可は床に平伏して正式な礼をとる。
「泰台輔《たいたいほ》、刻限でございます」
「はい……」
まるでこれから弔《とむら》いでも始まるようだ、と泰麒は思う。
蓉可は心配そうな顔を上げる。
「どうなさいました? 昨夜はお休みになれませんでしたか?」
泰麒は返答をしなかった。
眠ることができるはずがない。
これから泰麒は驍宗《ぎょうそう》と共に蓬山《ほうざん》の頂上へ昇る。そこで天勅《てんちょく》が下され、驍宗は天にも認められた王になる。
……偽《いつわ》りは必ず発覚するだろう。
そこでどんな儀式が行われるのかは知らないが、天がこの罪を見逃すとは思えない。
驍宗は王ではないと弾劾《だんがい》され、泰麒は王でないものと契約を結んだ罪を問われる。
どんな罰《ばつ》が下されるかは想像もつかないが、これは泰麒の罪で、驍宗にはなんの責任もない。それを訴えて、咎《とが》めが驍宗に及ばぬようにしなければならない。
その決意で頭がいっぱいで、眠ることもそのほかのことを考える余裕もなかった。
蓉可はしばらく泰麒をまじまじと見つめてから、膝《ひざ》をついたままそっと両手を伸ばした。泰麒は黙って蓉可の間近に歩み寄る。
蓉可は泰麒の髪をなでつけた。
「……まだ短いようでございましたね」
「そう……?」
「ええ。女仙《にょせん》の目がなくなるからといって、だめですよ、お切りになっては。せっかくきれいなお姿なのだから、鬣《たてがみ》が短いのは惜《お》しいもの……」
転変《てんぺん》した姿のことを言っているのだと悟《さと》って、泰麒はうなずく。
「ちゃんと見られた?」
転変した夜は女仙たちに見せてやることなど、考えにも浮かばなかった。──女仙たちも泰麒自身も、あれほどそれを願っていたのに。
「はい。嬉《うれ》しゅうございました」
丹念に丹念に、蓉可は髪をなでる。
「驍宗様は王に足るお方。本当に嬉しいこと続きでございます」
「……嬉しい?」
蓉可は目をしばたたく。
「はい。少し……寂《さび》しゅうもございますが」
いちばん身近にいた、優《やさ》しい女仙。どれほどの愛情を注いでもらったろう。
「……蓉可」
膝をついた蓉可に抱きついた。
──別れ、なのだ。
「泰麒、どうぞつつがなく」
ごめんなさい、と、これで何度目かにつぶやく。
蓬山に来てから、女仙には詫《わ》びることばかりだった。転変できずに、使令《しれい》を下せずに、そしてまたひどい裏切りをして。
全部を白紙にかえしてしまえたら、どんなにいいだろう。驍宗を黙って見送っていれば。
そうすればこれほどの罪の意識も、蓬山との別れもなかった。ついさきごろまでそうしていたように、蓉可の歌うような声に起こされて、女仙たちと笑いながら食事をして、汕子《さんし》と迷路で遊んで──これからも、そんなふうに過ごすことができたのに。
蓉可はひとしきり背中をなでてくれてから、身体《からだ》を離した。
「──さあ、参りましょう」