玉座のそばには小さな子供が控えている。珍しい髪の色だが、その場にいるのだから麒麟にまちがいないのだろう。
わけ知り顔の老爺《ろうや》が、あれが黒麒麟なのだと解説する。黒麒麟がどんな性質なのかは知らないが、めったにいないのだときけばそれだけでなにやら誇《ほこ》らしいのが身びいきというものである。
泰麒は壇上から歓声を上げる民を見下ろす。恐ろしいようでもあるが、それでも罪悪感なしに視線に応《こた》えられるのが嬉《うれ》しかった。
大宰《たいさい》の先払いがあって、次いで驍宗が登壇した。広場をゆるがす歓声が沸《わ》く。
悠々と玉座に就いた驍宗の前に進み、泰麒は膝《ひざ》を折る。
苦もなく頭を下げて額《ひたい》を驍宗の足にあてた。
延王にはできなかったことが、これほどたやすい。なんの呵責《かしゃく》もなく己《おのれ》の責務を果たすことは、なにやら幸福めいた気分をもたらした。
立錐《りっすい》の余地なく詰めかけた民は、歓喜の声を盛んにする。
──泰王即位。
戴極国に新しい王朝が始まったのだ。
和元《わげん》二十二年、春、宰輔失道、よって卒す。上《しょう》、一月禁中に崩じ、諱《いみな》して驕王《きょうおう》という。泰王《たいおう》たること百二十有四年、托飛山桑陵《たっぴさんそうりょう》に葬《ほうむ》る。
同じく一月、蓬山《ほうざん》に峯卵実る。余日を経ずして五山《ござん》に蝕《しょく》あり。泰果、枝を離れて失せる。百神、千仙をしてこれを求索せしむ。
三十二年、一月、蓬山に黒麒還《こっきかえ》り、天下に黄旗《こうき》飄旋《ひょうせん》す。夏、乍驍宗《さくぎょうそう》、令坤門《れいこんもん》より黄海《こうかい》に入り、蓬山に昇りて泰麒《たいき》と盟約、神籍《しんせき》に入りて泰王を号す。
驍宗、本姓は朴《ぼく》、名は綜《そう》、牙嶺《がりょう》の人なり。禁軍に将を承りて、瑞州《ずいしゅう》乍県に封ぜらる。天命を授けて玉座に前《すす》み、元を弘始《こうし》と改め、乍王朝を開けり。