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十二国記239

时间: 2020-08-29    进入日语论坛
核心提示: 王と帷湍《いたん》らを残して、六太《ろくた》は露台《ろだい》に出る。すでに陽が落ちて、夕景は暗い。東のほうから細い三日
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 王と帷湍《いたん》らを残して、六太《ろくた》は露台《ろだい》に出る。すでに陽が落ちて、夕景は暗い。東のほうから細い三日月が昇ろうとしていた。
「……血生臭《ちなまぐさ》い……」
 おそらく戦いになるのだろう。諸侯も諸官も、なかなかに腹黒い連中が揃っていたから、これまで内戦が起きなかったほうが不思議だ。
 血生臭い予感を風に流しながら、六太は庭を歩く。気分が沈んでしまうのは、生来、戦いや流血が嫌いだからだ。
 ──任せておけ、と尚隆《しょうりゅう》は言った。だが、戦いは嫌《いや》だ。たくさんの兵が死んで、罪もない民が巻き添えをくう。
 小さな宮の側まで来て、六太はなんとなくその門扉《もんぴ》を押し開ける。微《かす》かにきしんだ音を立てて門が開く。門番の詰め所はあるが、人の姿はない。本来なら不寝番がいるはずだが、王宮には人が少なかった。梟王《きょうおう》が殺しつくしてしまったのだ。それで数の少ないところに、新たな官を登用していないものだから、王宮はどこも閑散《かんさん》としている。
 前院《まえにわ》を抜けてさらに奥の堂屋《たてもの》に入る。そこには小さな院子《なかにわ》がある。白州《しらす》の中に立っているのは一本の白銀の木だった。低く枝を垂《た》れた姿。まるで銀で作ったようなその枝の色。
 ──この木から人は生まれるのだ。
 子供がほしい夫婦はこの木に子を願う。天がそれを聞き届ければ、枝に卵果《らんか》と呼ばれる果実がなる。子供はその中に入っている。子供が孵《かえ》るまで十月《とつき》、しかし孵る前に流されてしまう卵果がある。
 六太はそのようにして流された。尚隆もまたそうだ。災異に呑《の》みこまれ──これを蝕《しょく》という──本来別世界であるはずの、あちらとこちらが交わったおりに、あちらへ流されてしまった。流された卵果は異界で女の腹にたどりつく。父母によく似た肉の殻《から》をかぶせられて、母親から生れ落ちるのだ。そうして生まれた子供を胎果《たいか》という。
 六太はそのようにして流され、海の彼方《かなた》の異界、蓬莱《ほうらい》の都に流れ着いた。父親と母親と祖父母と、兄姉があった。自分が本来、いてはならない子供だとは思ってもみなかった。
 家が焼けたのは、六太がうんと幼い頃だ。煙の充満した家から転《ころ》がり出ると、都はあたり一面火の海になっていた。火から逃げまどって一夜を明かした。姉のひとりと祖父母をそれで亡くしてしまった。
 戦火を逃れて都の西のはずれに住んだが、家には蓄《たくわ》えもなく、戦乱の渦中の都には父親が求める職もなかった。兄のひとりが死に、一番下の姉が死に、六太は山に捨てられた。一家が生き延びるためにはしかたがなかったのだ。
 こちらの世界から迎えが来たのはその山の中、飢《う》えて渇いて死にそうになっていたところだった。六太はそれでかろうじて生きながらえた。だが、迎えがあったのは、六太が特別の生き物だからだ。──麒麟《きりん》という。
 もしも六太が麒麟でなければ、あのまま山野に弊《たお》れていた。同じようにして死んだ子供は多かったろう。あの時代、あの場所、子供が捨てられるのは珍しいことではなかった。
 ──折山《せつざん》の荒廃。
 戦火は人を不幸にする。やっと緑の蘇《よみがえ》ったこの国に、再び戦乱が起こる。それを思うと息も詰まるほど苦しい。
 荒廃する山野、流される血、親を失い、あるいは生活に困窮して弊れていく子供たち。
 尚隆が登極《とうきょく》する前、国土を見たいとそういった。丘の上から見下ろした大地には何ひとつ残っていなかった。あれからわずかに二十年しか経《た》っていない。あの頃の子供たちは親になっている頃だろうか。王も麒麟も王に仕《つか》える諸官も、寿命のない生き物だから時を忘れてしまうけれども、それだけの時間が下界では流れたのだ。
 山野に捨てられた子供は今ごろどこでどうしているだろう。ひょっとしたら、また彼らを苦しめた不幸が同じ者に降りかかるのかもしれない。
 六太は天を仰ぐ。相談していたのは夜更《よふ》け、六太は目覚めてそれを聞いた。同じようにして夜更けに目覚めた子供があった。この国の話だ。
 ──十八年前、他ならぬ元州《げんしゅう》のことだった。
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