「──台輔《たいほ》」
「……驪媚《りび》」
驪媚は元州《げんしゅう》に差し向けられた牧伯《ぼくはく》、牧伯は王の勅命《ちょくめい》によって州侯を監督する。実権の凍結された州侯・令尹《れいいん》に代わって内政を取り仕切っているといってもよかった。六太自身が治める靖州《せいしゅう》を除く八州に差し向けられた八牧伯とその下官、そして帷湍《いたん》、朱衡《しゅこう》、成笙《せいしょう》らが率いる下官とが、奸臣《かんしん》の中で尚隆《しょうりゅう》を支える側近だった。
格子が上げられ、更夜《こうや》らが六太を連れて室内に入る。六太は息を吐いた。
「そりゃあ、驪媚だって捕らえられるわな。尚隆の犬だもんな」
「台輔まで」
「うん。まあ、我慢してくれな。こりゃ、どう考えても尚隆の自業自得だ」
「そんな」
「あいつが浮かれ遊んでるから、こういうことになるんだって。お互い、しばらくここでのんびりしよーや」
驪媚は更夜を見る。
「台輔に滅多《めった》なことをするのじゃないぞ」
更夜はただ笑った。
「もちろん、害すようなことはしないとも。──六太、でもいちおう虜囚《りょしゅう》ということになるからね」
「分かってらい」
「ここへ」
更夜が示すので、六太はおとなしく更夜の側に行った。更夜は懐《ふところ》から赤い糸の束と白い石を出す。その白い石を額に当てられて、六太はとっさに身を引いた。
「──よせ」
「だめ。動かないで。……子供がいるよ」
六太は入り口に座っている妖魔に目をやる。妖魔がこれみよがしに嘴《くちばし》を開いて、そこから小さな腕が見えた。
「……抵抗するわけじゃねえけど、おれ、やなんだよ」
「額には角があるからね。でも、その角を封じさせてもらいたい。使令《しれい》には油断がならないから」
六太は本来、人ではない。意志の力によって本来の姿──麒麟《きりん》に戻ることもできる。その麒麟の姿になったときに額にある一角、これがおそらく妖力の源なのだろうと思われる。だから角──人の姿であるときには額の上のほうの一点──に人が触れるのが疎《うと》ましい。角を封じられれば、妖力も封じられるだろう。おそらく、使令を呼び出して使うこともできなくなる。
「ホントにやなんだぞ。単にやだってのとは違って、すっげー嫌《いや》なんだからな」
「妖魔にもね、そういう逆鱗《げきりん》があるみたいだよ。……さ」
言われて、渋々上を向く。まるで神経が露出しているような、鋭敏すぎて何かが触れれば苦痛さえ訴える場所にひやりとしたものが当てられた。本能的に逃げそうになる身体を意志の力を総動員してなだめる。
「……痛い。気持ち悪い。吐きそう」
「我慢して」
赤い糸が石を押さえるように渡される。更夜はそれを六太の頭に結んで結び目に呪《じゅ》を唱える。それでふいに苦痛はやんだ。そのぶん、体の中に空洞のようなものができた気がする。
「まだ苦しい?」
「平気。けど、変な感じ」
「もう使令《しれい》は呼べないよ。転変《てんぺん》して麒麟《きりん》になることもできないから、宙も飛べない。うっかり高いところに昇らないようにね」
更夜は微笑《ほほえ》んで、妖魔に向かう。軽く嘴《くちばし》を叩いて開けさせ、中の紅蓮《ぐれん》の舌の上に横たわった子供の、首にも糸を巻きつけた。軽く結び、呪《じゅ》を唱えると結び目から余った糸が落ちる。それを丁寧《ていねい》に巻いて懐《ふところ》にしまった。
「これは赤索条《せきさくじょう》という。六太がその糸を切ると、子供の首が絞まる」
「……そこまでするか? おれ、逃げたりしねぇよ」
「言ったろ? 六太はいちおう、虜囚《りょしゅう》だかね」
更夜は言って、驪媚を見る。
「彼女の糸にも繋《つな》がっている」
六太が見れば、驪媚の額にも同じように白い石があり、赤い糸で括《くく》られている。諸官が歳《とし》をとらないのは、仙籍《せんせき》に入っているからだ。仙になれば額に第三の目が開く。外からは見えなくとも、こには何かの器官があるのだ。それを封じられればやはりあらゆる呪力を失う。六太の角と同じことだ。
「彼女が糸を切っても、やはり子供の首が締まって断ち切れるよ。子供の糸を切れば、彼女の糸が締まって彼女の頭を断ち切る。六太の糸も同様だ。さすがに一介《いっかい》の仙とは違い、麒麟のことだから、まさか断ち切れるようなことはないだろうけど、きっとすごく苦しいと思う。ひょっとしたら角が折れてしまうかも」
「……分かった」
「牢《ろう》の外にも糸を張ってる。牢から出ると糸が切れる」
「すると、子供も驪媚も、ちょっと情けない格好になるわけだ」
「そういうこと」
「全部終わったら、子供を返すな?」
更夜は笑う。
「もちろんだよ」
「お前、麒麟のことに詳《くわ》しいのな」
普通の者は麒麟の角のことなど知らない。
「ろくたが──ああ、大きいのがいるからね。妖魔も神獣《しんじゅう》も結局のところ似たようなものだから」
「おれの使令はなんにも教えてくれねぇぞ」
「大きいのも教えてくれないよ。でもこれだけ側にいると、いろいろと学ぶことがある」
「……ふうん」
更夜は子供を抱き上げた。それを驪媚に渡す。
「この子は任せるよ。世話をしてあげるんだね。必要なものは運ばせる」
「外道《げどう》」
驪媚は小さく吐き捨てたが、更夜は笑っただけだった。
「他にもほしいものがあったら言っていい」
驪媚は返答をしない。恨《うら》みをこめた目で更夜をねめつけた。それを超然と受け止めた更夜を、六太は見る。
「おれも驪媚もおとなしくしてるよ。──お前、ちょこちょこ来る?」
「来るよ。様子を見にね」
うなずいて、六太は言い添えた。
「──こんなふうにまた会うなんて、かなり残念だな」
更夜もまたうなずく。
「おれも、そう思うよ。六太」