驪媚《りび》に訊《き》かれて、六太《ろくた》は笑ってみせた。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。──ここ、けっこういい部屋だな。思ったより待遇いいや」
六太は部屋を見渡した。どういう趣旨で作られた部屋だろう、決して広いとはいかないが、牢《ろう》と呼ぶのははばかられる。まるで白い大きな岩盤をくり抜いたような部屋だった。奥には簡素ながら牀榻《しょうとう》が用意してあり、屏風《へいふう》で区切られた一郭《いっかく》には別に寝台がもうひとつある。隅には泉があって水場が設けられており、家具が一揃い用意され、見上げれば恐ろしく高い天井には大きく天窓が切ってある。世が明ければ陽光が入りこむだろう。
「そんで? 驪媚は子供の面倒なんか見れんのか?」
にやにや笑ってみせると、驪媚はやや顔を赤くした。
「できますでしょうか。……不安です」
「子供はいないんだっけ」
「昔には夫も子供もありましたが、官に召し上げられたときに別れてしまいました。先帝の時代のことですから、もうずいぶんな歳《とし》でございましょうね」
「一緒に仙籍《せんせき》には入れなかったんだ」
「夫が嫌《いや》だといいましたので」
「そっか……」
国州の官吏《かんり》は昇仙《しょうせん》しなければならないから、同時に必ず別れがある。親と妻子までは一緒に仙籍に入れることができたが、兄弟縁者の昇仙は許されない。縁者は優先的に官吏への登用があるものの、それでも失うものは多いだろう。
「驪媚の他は?」
牧伯《ぼくはく》ともなれば、個人的な侍官《じかん》・下僕《げぼく》が相当数いるはずである。
「おそらく捕らえられたのだと。処刑されたという噂《うわさ》は聞きませんので、どこかに無事でいるでしょう。わたくしの他の国遣《こっけん》の官も同様だと思われます」
「そっか。よかった」
州侯|令尹《れいいん》にはその補佐及び監視役として、国から六人の官僚が下される。候に道を説《と》き、世の成り立ちを教え、誤りあれば正すのが努めだが、これは腑抜《ふぬ》けた爺《じじい》ばかりで毒にもならなければ薬にもならない。雁《えん》はあいにくそこまで手がまわらないのだ。
「驪媚は大丈夫か? 酷《ひど》いことはされなかったか?」
六太が問うと、驪媚はやや複雑そうな笑みを浮かべた。
「わたしは別段……。幸いと申すべきか、斡由《あつゆ》はそこまで道理を見失った者ではありません」
「斡由って、どうなんだ? 州侯はどうした?」
「州侯はお加減が悪いとか。城の奥深くに閉じこもられたまま、表にはおいでになりません。斡由に万事任せているようですが」
言って驪媚は腕の中の子供を抱えなおした。妖魔の嘴《くちばし》から解放された子供は、よく眠っている。
「これは諸官の噂でございますが、やはりお心に病あって政務をお執《と》りになれないようでございます。いまだに梟王《きょうおう》を恐れて周囲の者が諭《さと》しても内宮の奥からお出ましにならないとか。それでも以前には、ご気分のよろしいときに官を呼んで指示をなさることもあったようですが、近頃はずいぶんとお悪いとお聞きしております。世話をする官に対しても梟王《きょうおう》の刺客《しかく》だと騒ぐしまつ、哀れんで斡由が政務の間を縫って手ずからお世話申しあげているようです」
「……ふうん」
「──そうですね、斡由はこんな大それたことをしそうには、とうてい見えませんでした。ものの道理も分かっておりますし、それは民のことをよく気にかけておりましたから」
「そうか……。頑朴《がんぼく》って豊かなのな。立派な街で驚いた」
「斡由は能吏《のうり》でございますよ。ほとんど実権はないとはいえ、限られた権の中でよくやっていると思っておりました。──本当に、どうしてこんなことを」
「尚隆《しょうりゅう》が悪い。サボるからだ」
そんな、と驪媚は困ったようにする。
「主上には主上のお考えがおありなのです。それをお察し申しあげもせず、斡由は短慮を起こしたのでございましょう。確かに臣からも慕《した》われ、城下の者もそれは崇拝しているようでございますけれど、それに驕《おご》ってしまったのです」
「……どうだろうな……」
それよりも、と驪媚は子供を抱いたまま首をかしげる。
「本当に大丈夫なのでございますか? お顔の色が」
うん、とうなずいて、六太は寝台に座る。
「台輔、お疲れでしたら牀榻《しょうとう》を」
「うん。ありがとな」
言いながら横になる。部屋の端まで歩くのが億劫《おっくう》だった。
「台輔?」
「血に酔ったみたい。悪いけど、ここ貸して」
「……血」
「亦信《えきしん》……死んでしまった……」
驪媚は目を見開いた。
「亦信というと、成笙《せいしょう》の部下の」
「うん。……申しわけないことをした……」
驪媚は眠った子供を迷ったあげくに卓の上に置く。寝台に歩み寄って、失礼を、と手を伸べた。白い石を括《くく》られた額が熱い。
「お熱が──」
「うん。でも血に酔っただけだから」
「お苦しゅうございますか?」
「このくらい、平気」
「──失礼ですが、台輔は射士《しゃし》とお知り合いなのですか?」
射士、とつぶやき、六太はそれが州侯の身辺警護の長官であることを思い出した。王の警護の長官を射人《しゃじん》、州侯以下では射士と呼ぶ。射人射士の下にある実際に警備を行う官が大僕《だいぼく》である。
「更夜《こうや》……射士なのか。出世したなぁ」
「妖魔を飼《か》い馴《な》らす奇妙な技を持っているようで」
「飼い馴らすんじゃない。あの妖魔のほうが更夜を飼っているんだ」
「──え?」
「ごめん、説明は後で。すげー、眠い……」
はい、と驪媚はうなずいた。六太は目を閉じる。血糊《ちのり》の臭気に酔って酷《ひど》い気分がした。