「あんなお人がお家を継いで、成り立つのかね。なに、悪い人じゃないんだが、なにしろ羽目の外《はず》れた悪たれだから」
六太を介抱《かいほう》してくれ、家に置いてくれた漁師はそう言った。
「まあ、器が大きいってのかもしれないが」
「ふうん……」
良い評判は聞かなかった。誰もが笑いながらこきおろす。敬愛されているわけではないが、人々と尚隆との距離は近かった。それは尚隆が頻繁《ひんぱん》に城下を出歩くせいかもしれない。城でしなければならないことはないものか、毎日のように足軽のような軽装でやってきて、子供の相手をしたり、娘たちをからかったり、若い連中を集めて木刀を振り回したりと忙しい。漁師のまねごとをして海に出ることも多かった。
「実は偉《えら》いんだろ、あんた」
六太がそう訊《き》いたのは、尚隆が船釣りに行くというのでついていったときのことだ。彼は六太が寝込んでいる間、ちょくちょく顔を出していた。特に六太を気にしたわけではなく、漁師の家にはけっこう美人の若後家《わかごけ》がいたから、彼女が目当てだったのかもしれない。無視しようと思いつつも、できなかった。気がつけばいつの間にか腰巾着《こしぎんちゃく》のようにして尚隆の後をついてまわっている。
「偉いものか」
言って尚隆は笑う。彼が波間におろした釣り糸は最前からぴくりでもない。
「だって、いずれは一国一城の主《あるじ》になるわけだろ」
城は海を望む丘の上にある。屋形《やかた》はそこにあって、小さな湾に面して小さく街が築かれていた。湾の先の小島には堅牢《けんろう》な出城がある。湾岸の一帯と、それを望む山地、湾に近い島々が小松の領有する国土だった。
「これを一国というのは赤面するな」
尚隆は苦笑した。
「小松はもともと瀬戸内《せとうち》に根城を張る海賊だ。平氏の裔《すえ》で源平合戦のおりに命じられて水軍として立ったというが、これはかなり怪《あや》しいだろうな。どうせ漁師をとりまとめていた地侍《じざむらい》が頭角を現して、国人《こくじん》として立ったという程度だろう」
「ふうん……」
「強突《ごうつ》く張《ば》りの爺《じじい》があちこちの地侍を脅して臣下に組み入れ、国人と呼ばれる程度にはなったが、大名《だいみょう》に尻尾《しっぽ》を振って生きながらえている。いったん事あれば水軍として働くという契約で、かろうじて大内《おおうち》に治領を黙認されているというところかな。一番上の兄は大内に出仕して応仁文明《おうにんぶんめい》の大乱《たいらん》の際に上洛《じょうらく》して死んだ。二番目は河野《こうの》へ行っていたが、爺が冥途《めいど》の土産《みやげ》にひとつ島をかすめ取ったせいで殺されたから、うつけ者の三男坊しか家を継ぐものがいない」
「そりゃあ、城下の連中は大変だ」
尚隆は声高く笑う。
「まったくだ」
「嫁さんとか、子供とかいないのか」
「おるぞ。妻は大内の傍流からもらった。──押しつけられたと言ったほうが正しいな」
「いい人?」
「さあな。ろくに会ったことがないので知らぬ」
「へ?」
「海賊の家柄はあまり気に入らなんだようで、祝言《しゅうげん》の夜、寝屋を訪ねたら婆《ばばあ》ふたりを盾《たて》にして、頑として寝所に入れてくれなかった。ばかばかしくなって、以来一度も行ってない。なのに子がおるから不思議な話だ」
「ちょっと待て、おい」
側室が何人か、地侍から送られてきていたが、妻女の例もあって、端《はな》から訪ねる気になれなかった。──六太のような流れ者に、あけすけにそんなことを言う。
「それって、寂しくないのか?」
「別段、不満はないな。町に出れば城下の浮かれ女が遊んでくれる。家だの恩義だのを背負って悲壮な顔をした女より、若さまと賑《にぎ》やかしてくれる女のほうが楽しいからな」
六太は溜め息をついた。
「お前って、実はものすげー、莫迦《ばか》だろう」
「みんながそう言うが、やはり分かるか」
「おれ、この国の人に同情するな」
愚者《ぐしゃ》か器が大きいのか。六太にはそれが度《はか》りかねる。ただ、乱世には向かない。この男は国の外がどういうありさまだか知らないのだろうか。都を灰燼《かいじん》に帰した戦い、それは守護を弱体化させ、国人《こくじん》惣人《そうじん》が各地で立って、いまや行く先々で血の臭いをかがないことがない。たしかにこの国はまだ平和だが、そんなものが永劫《えいごう》続くとでも思っているのか。
「お前が女の子とよろしくやってる間に、国が滅んでたりして」
「ま、そういうこともある。盛者必衰《じょうしゃひっすい》と言ってな」
「領地の人全部が迷惑すんだぞ。戦争になればみんなが困る」
尚隆はあっけらかんと笑った。
「戦わなければいいのだ。小早川《こばやかわ》が攻《せ》めてきたら諸手《もろて》を挙げて小早川の民になる。尼子《あまこ》が来れば尼子の民になる。河野なら河野。それならば特に不都合はあるまい」
六太は呆《あき》れて口を開けた。
「分かった。お前って本当に莫迦なんだ」
尚隆は声を上げて笑った。
心底呆れ果てながら、六太にはこの地を去る決心がつかない。
──この男を王にしてはならない。それだけは分かっているというのに。