「──この──痴《し》れ者《もの》が!」
帷湍の入室にやっと気づいた尚隆《しょうりゅう》は、軽く身を起こして首をかしげた。帷湍の血相が変わっているのはもちろんのこと、その後ろに従う朱衡《しゅこう》も、ふたりを招き入れたのだろう成笙《せいしょう》も、同じく渋い顔をしていた。
「……どうした、いきなり」
「元州《げんしゅう》から使者が来たそうじゃないか」
「来たぞ。ご丁寧に州宰《しゅうさい》を使節にたててきた」
「斡由《あつゆ》を上帝に据えろという要求とか。それを一言のもとに断ったそうだな」
尚隆は瞬《まばた》いた。
「まさか上帝にしてやるわけにはいかんだろうが」
「莫迦《ばか》か、お前は! なぜそこで時間を稼《かせ》がない。諸官に諮《はか》るといって時間を稼げば、搦《から》め手《て》で籠絡《ろうらく》することもできたのに! 内情を調べるにも、兵を募《つの》るにも、全く時間がなくなったんだぞ、分かっているのか!」
眦《まなじり》をつり上げている帷湍に尚隆は笑ってやる。
「──まあ、なんとかなるだろう」
「ええい、この昏君《こんくん》が! あいにく世の中はそうそうお前の調子に合わせて浮かれてはくれんのだ!」
帷湍は怒っている。激怒しているといっていい。元州師はその数一万二千五百、対する王師もその同数。事を構えるなら兵卒を募って最低でも倍、望むべくは三倍にもっていきたいが、仮に徴兵を命じてもそれだけの数がそろうのは今日や明日のことではない。しかも数がそろえばいいというものではないのだ。武器の使い方を教え、軍の規律を覚えさせ、なんとか体裁《ていさい》を整えるまでにどれだけの時間がかかるか。そのうえ元州までは徒歩でひと月、遠征の間の兵糧《ひょうろう》はどうする。兵糧を運ぶ車の数から完全に不足しているのだ。
尚隆は呆《あき》れたように帷湍を見た。
「……自国の王をそれだけ罵倒《ばとう》するのは、お前くらいのものだろうな」
「貴様のどこが王だ! 罵《ののし》られたくなければ、いま少し立場を弁《わきま》えたらどうだ!」