更夜《こうや》は叫んで牢《ろう》に飛びこんだ。そこで思わず足をとめる。
牢の中の惨状。妖魔の間近にいて酸鼻を極めた光景に慣れている更夜でさえ、思わず退《さが》った。それほど牢の中は惨憺《さんたん》たるありさまだったのだ。
六太は床に座り込んでいる。その表情はうかがい知れない。頭から被《かぶ》った血糊《ちのり》で判然としなかったのだ。駆け寄ろうとすると、妖魔が背後でおよし、と鳴いた。かまわず駆け寄ったがその襟首《えりくび》を捕まえられる。背後に引きずられたその一瞬、床から躍《おど》りでた獣の顎《あご》が更夜の影を噛《か》む。
「──六太!」
更夜と六太の間に立ちふさがった黒い三尾の狼《おおかみ》と、床の血糊から生《は》えるように伸びた白い翼の二本の腕。更夜の前に出て妖魔が威嚇《いかく》するように鳴く。更夜は再び六太を呼んだ。声の限りに叫んだそれで、六太がようやく更夜のほうを振り返った。
「六太! 使令《しれい》をとめて!!」
よせ、と六太の声はおざなりで小さい。
「……よすんだ、悧角《りかく》」
しかし、という司令の声に、六太はのろのろと首を振った。
「──やめろ。……これ以上の血を見せないでくれ」
つぶやくように言って、六太は更夜を見る。
「更夜……助けてくれ」
更夜は足を踏み出す。迷わず六太の側に駆け寄ると、使令が道をあけ、消えた。
「六太、大丈夫か?」
血濡れた肩に手をかけ、助け起こそうとしたが、六太の身体は動かない。凍《こお》りついたように硬直してしまっていた。
更夜は周囲の床を見渡し、傍《かたわ》らに転《ころ》がった死体の手元から赤く染まった石を拾い上げた。それを六太の額に当てる。
「……更夜、いやだ……」
「だめ。我慢して」
「更夜ぁ……」
再び赤索条《せきさくじょう》を結ぼうとした時に、六太の影から声があった。
「お願いですから、それだけは」
女の声だ。一瞬更夜は驪媚の声かと思い、ぎょっと背筋を強《こわ》ばらせた。
「このうえ角を封じられては、台輔《たいほ》のお身体に障《さわ》ります」
「……使令か」
「お願いですから、血糊《ちのり》を流してくださいませ。……台輔には本当に毒なのです」
「だけど」
「台輔に危害なくば、決して余人を襲ったりはいたしません。──どうか」
迷っているうちに嫌《いや》がるように挙げられた六太の手が落ちた。──意識を失ったのだ。