斡由《あつゆ》に問われて、更夜はうなずいた。報告に戻った斡由の面前である。
「……おそらく自ら台輔の糸を切ったのだと」
斡由は少しの間呆然と瞬《まばた》いて、それから椅子に身体を投げ出した。
「……大胆なことをする。──それで台輔は」
「昏倒《こんとう》なさっておいでです。とにかく血糊を落とさせておりますが」
「大丈夫なのか」
「おそらくは」
雲海の海水で徹底的に血糊《ちのり》を落とせ、と六太の使令《しれい》に教えられた。それでそのように命じてある。
「封印は」
更夜は足元の床を見つめた。
「……改めて呪《じゅ》を施《ほどこ》してございます」
「封じてもお身体に障《さわ》りはないのか」
「多少は。──ですがしかたございませんでしょう」
斡由は大きく溜め息をつく。
「麒麟《きりん》は人が作った檻《おり》からは抜け出せないと、お前はそう言ったのではなかったか?」
更夜はただ目を伏せる。
「申しわけございません」
「……まあ、檻のほうが自ら壊れたのだからしかたがないが。だが、台輔の処遇はお前に任せてあったはずだ。なぜ、牢《ろう》の中に見張りを置かなかった」
「配慮が行き届きませんでした」
斡由は再び大きく息を吐く。
「大事なかったのだから良しとするしかないが、二度とこういうことが起こらぬようにせよ」
「──はい」
卿伯《けいはく》、と白沢《はくたく》が斡由の面前によろめき出た。
「これが──玉座《ぎょくざ》の重みでございますか」
「白沢」
「果たして我が州のために、そこまでする官がおりましょうか。驪媚は果たして延王《えんおう》のために命を捨てたか、あるいは玉座そのもののために一命を捨てたか。いずれにしても、我らは非を認めなければなりません。王は驪媚に命を捨てさせるだけのお方でございました。さもなくば、玉座にはそれだけの意義があったのです」
「──白沢!」
「卿伯に道理あり、共に戦うべしと頑朴《がんぼく》に参じた民がどれだけおりましたか。元州《げんしゅう》討つべしと集《つど》った民が一万近く、しかもまだ増え続けているのでございますよ」
「では、──訊《き》くが」
斡由の声には怒気が露《あら》わだった。
「お前はわたしにどうせよと言うのだ? いまさら引くことのできるものではないことぐらい、分かっているはずだ!」
「いま一度、拙《せつ》めを関弓《かんきゅう》へお遣《つか》わしください。必ず拙がこの命で卿伯のお命を」
「買ってくれるというわけか? ──ふざけるな!」
白沢は身を縮め、平伏する。
「……まだ負けると決まったものではない。いまからそれほどの及び腰でどうする。城下の民を説得せよ。理《ことわり》を説《と》いて説明するのだ。果たして道に悖《もと》ったのは誰なのか。玉座《ぎょくざ》を望んで政務を放棄するとは何事だ。──違うか?」
「卿伯……」
「理はこちらにある。説明すれば民も納得しよう。──たしかに台輔を捕虜《ほりょ》としたのは道に悖る行いだが、台輔はなにも放してほしいと懇願《こんがん》なされたわけではない。むしろわたしの胸中をお汲《く》みくださり、自ら元州にとどまってくださっているのだ」
「……は、はい」
「わたしとて、こんな手を使いたくはなかったが、関弓に攻め入れば、多くの民に迷惑をかける。いまのごとき兵力で遠征がなるものではないくらい、説明すれば誰でもなっとくするだろう。これ以上の懲役はしたくなかった。民を農地から攫《さら》って武器を持たせるようなことを、わたしはしたくなかったのだ」