雲海の上に目を転ずれば、堯天は海のただなかに浮かぶ島、高く屹立《きつりつ》し、層をなした峰の、その斜面に断崖に、あるいは中空に張り出すようにして建つ楼閣《ろうかく》。これが金波宮の全容だった。
その堯天山——堯天島といってもいい——の西岸に、巨大な亀が到着した。これは蓬山から王を運ぶ神獣、その名を玄武《げんぶ》という。
王宮の諸官が港に平伏してこれを迎える。この玄武が雲海に残す航跡が、下界では瑞雲と呼ばれるのだとは、天上に住む誰もが知っている。
玄武は諸官の見守る中、その巌《いわお》のような首を岸に渡した。それを踏んで岸に降り立った新王を、諸官の長、冢宰《ちょうさい》が迎える。
それを上目遣《うわめづか》いに盗み見た幾人かが、その場にそっと溜《た》め息《いき》を落とした。
——女王か——。
慶国は波乱の国、王が長く玉座《ぎょくざ》にいたためしがない。特にここ三代の間、短命の王が続き、しかもそれらはことごとく女王だった。その後に起った偽王までが女、そしてその後に起った、新王までが。
懐達《かいたつ》、という言葉が慶にはある。その昔、三百年以上の治世を行った王、達王《たつおう》を懐《なつ》かしむ、の意である。達王はその治世の末、民を幾重にも苦しめた王だったが、少なくともそこに至るまでの三百年近く、安定した賢治を布《し》いてきた。達王のような長命の王をのぞみ賢治を願う、の意味だが、その裏には溜め息がひとつ隠されている。
——女王はもういい。王がいた時代が懐かしい。
他者には聞こえないよう密《ひそ》かに落とされた溜め息は、その数が少なくなかったために、溜め息を落とした当人をぎょっとさせるほど露《あらわ》に流れた。
ともあれ、この日、慶の里祠《りし》という里祠に王旗が揚がった。
慶東国に新王|践祚《せんそ》す。景王|赤子《せきし》の時代——赤《せき》王朝の始まりである。