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十二国記309

时间: 2020-08-30    进入日语论坛
核心提示: 蒼穹《そうきゅう》はその色を薄めている。冬の空の色だった。低くなったような空の下、山の斜面に沿って蛇行《だこう》するよ
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 蒼穹《そうきゅう》はその色を薄めている。冬の空の色だった。低くなったような空の下、山の斜面に沿って蛇行《だこう》するように続いている街には賑《にぎ》やかな喧噪《けんそう》が流れていた。喧噪は街を押しつぶしそうにそびえた凌雲山《りょううんざん》に谺《こだま》する。
 街の名は堯天《ぎょうてん》、その途《みち》をゆく人々の顔は明るい。あちこちに瓦礫《がれき》の残る町並みも、貧しい生活を示す身なりも、とりあえずは念頭にかかっていないようだった。その理由は街のほうぼうに翻《ひるがえ》る幡《はた》を見れば、おのずから知れる。
 幡は黒地、一本の枝が黄色で描かれていた。枝に生《な》った実は三。伝説によれば桃の実で、枝には帯のように一匹の蛇《へび》が巻きついている。世界の開闢《かいびゃく》の際、天帝が王に与えたという伝説の枝だった。その幡が途のあちこち、建物の角々《かどかど》に下げられ、人々を導くように坂の上へ続いて、王宮に吉事あることを示している。家々の大門《いりぐち》にかけられた花飾り、軒にずらりと並ぶ灯龍《とうろう》、それらの導く先には、国府《こくふ》の入り口である皋門《こうもん》の碧《あお》い屋根がそびえていた。
 ——新王|登極《とうきょく》。
 新王|践祚《せんそ》を示す王旗《おうき》が揚《あ》がって二《ふた》月、ようやく即位式の布告があった。幡はその吉日を示し祝賀するものである。
 広途《おおどおり》を流れる人々の群れは皋門の中に吸いこまれていく。国府と、礼典に用いられる正殿に挟まれた広大な広場には、すでに立錐《りっすい》の余地もない。禁軍《きんぐん》、国官の黒い鎧と黒い官服、それらが整然と並び、幾重にも押し立てられた旗が翻る中、正殿の壇上に黒衣の人影が現れて、広場には歓声《かんせい》が満ちた。
 
 ——その黒衣を大喪《だいきゅう》、という。玄《くろ》の袞《ころも》に玄の冠《かんむり》、薄赤色の裳《も》、朱の膝卦《ひざか》けと赤い鞘《くつ》。そしてそれに合わせたかのような紅の髪。
「……本当に王になったんだなあ」
 豪奢《ごうしゃ》な室内に立つ人影を認めて、彼は小さくつぶやいた。前に立って入室した大小ふたりの人物も、感嘆めいた声をもらした。
 大喪は王の第一礼装である。章《かざり》は最高位を示す十二、女王だから冠は小さく、代わりに見事な髪飾りがある。袞の龍《りゅう》の刺繍《ししゅう》も豪奢《ごうしゃ》だった。
 即位式をすませたばかりの新王は振り返る。入室した彼らに目を留めて、鮮やかな笑顔を浮かべた。
「——楽俊《らくしゅん》」
 言って、楽俊の脇の大小ふたりを見やって、軽く一礼する。
「遠路ありがとうございます。——延王《えんおう》、延台輔《えんたいほ》」
 やあ、と手を挙《あ》げたのは小さいほうだった。
「立派なもんだ、陽子《ようこ》。見物人も満足そうだったぞ。王が見栄《みば》えがしないと、それだけで民ってのは落胆するからな。それに、別嬪《べっぴん》な王だ、と国民に思わせときゃあ、いざというときにいくらか役に立つし」
 廷麒《えんき》、とたしなめる声があったが、彼はいっこうに気にした様子がない。
 くすくすと笑って、陽子は客人に椅子《いす》を勧《すす》めた。慶《けい》の北に位置する雁国《えんこく》の王、延と宰輔《さいほ》廷麒。その名を延王|尚隆《しょうりゅう》といい、廷麒|六太《ろくた》という。雁が目下のところ、慶と国交のある唯一の国だった。
「お久しぶりです」
 陽子は尚隆と六太に深く一礼する。
「本当にお世話になって、ありがとうございました」
 言って陽子は、その側《そば》に立つ灰茶の毛並みのネズミにも頭を下げる。
「楽俊も、ありがとう。おかげでなんとか、即位式までこぎつけた」
「よせやい」
 楽俊は尻尾《しっぽ》を振る。
「おいらは一介《いっかい》の半獣《はんじゅう》だもんな。王さまに頭を下げられたんじゃ、寝覚めが悪いや」
 くすり、と陽子は笑った。
 陽子は海の彼方《かなた》、倭国《わこく》——祖国では日本と呼んだ——の生まれ、いきなり右も左も分からないこの世界に投げこまれ、三人に助けられて登極《とうきょく》した。王を偽《いつわ》って国権を狙《ねら》い兵を挙《あ》げた舒栄《じょえい》の乱の鎮圧《ちんあつ》に力を貸してくれた延王、廷麒。彼らへの感謝が深いのはもちろんだが、偽王《ぎおう》らに追われ、行き倒れそうになって、心身ともに荒《すさ》んでいた陽子を救ってくれた楽俊への感謝はいっそう深い。登極までの長いようで短かった八か月を思うと、自然に頭が下がる。
「——本当に感謝しいている」
 あわあわと尻尾《しっぽ》を右往左往させる楽俊を、意地悪げに六太が笑った。
「大喪《だいきゅう》の王に頭を下げられるなんざ、滅多にあることじゃねーぞ」
「かんべんしてくれよぉ」
 言って楽俊は、陽子を見上げる。半獣《はんじゅう》の楽俊はネズミでもあり、人でもある。ネズミのときにはその背丈《せたけ》は子供の背丈ほど、陽子を仰ぎ見る格好になる。
「礼を言わないといけねえのはおいらのほうだ。陽子のおかげで、雁の大学にも入れたし、延王にもよくしてもらってる。——ありがとうな」
「それはわたしに感謝するようなことじゃない」
 でもさ、と六太が再び笑う。
「よく考えたら楽俊ってすごいよな。王がふたりも知り合いなんだから。大学の連中が知ったら腰ぬかすかも」
「台輔《たいほ》ぉ」
「——しかし、悠長に構えていたものだな」
 笑いぶくみに言ったのは尚隆である。
「舒栄の乱が終ってからもう二《ふた》月以上|経《た》つ」
 陽子は軽く苦笑した。
「本音を言えばもっとのばしたかったのだけど。冬至《とうじ》までにはどうしてもと諸官が言い張って」
 国の王は天地を安らげ諸神を慰撫《いぶ》する。その祭礼のうち、もっとも要《かなめ》になるのが冬至の祭礼だった。王が自ら郊外へ赴《おもむ》き、天を祀《まつ》って国家の鎮護《ちんご》を願う。これを郊祀《こうし》という。
「のばしたいとは、なぜ?」
 陽子は軽く息を吐《は》く。
「……初勅《しょちょく》が決まらないので」
 初勅とは新王が初めて発布する勅令をいう。全ての法は王の名のもとに発布されるが、法とはそもそも、官からの提案があり、関係する諸官に諮《はか》り、三公六官の賛同を受けて初めて王の裁可《さいか》を願うものだった。王の務めは自ら法を作り国を運営することではなく、諸官を指導し監督することなのである。王自らが法令を作り、これを宣下すれば勅令と呼ばれる。
「延王はどうなさった?」
「俺は四分《しぶん》一令《いちれい》というやつだが」
「それは?」
「公地を四畝《しぼう》開墾《かいこん》した者には、そのうちの一畝を自地として与える。——なにしろ耕作できる土地が少なかったからな」
 なるほど、と陽子はうつむいた。
「諸官は、貴色《きしょく》を赤にしろ、と言っている。予王《よおう》の貴色が青だったから、と言うんだが」
 六太はうなずいた。
「いいんじゃないか? 理にかなってる」
「そうなのか?」
「木生火《もくしょうか》だからな。禅譲《ぜんじょう》ってやつだ」
 陽子は息を吐《は》いた。
「……こちらには分からない風習が多いな」
「焦《あせ》るなって。そのうち慣れるからさ」
 陽子は笑みを作りかけて、首を傾けた。
「——だけど、そういうのは違う気がする。初勅《しょちょく》とは、王がこれからどういった国を作るのか、それを端的に示すためのものだと聞いた」
「まあ確かに、どの色が一番いい、なんてことを決めるんじゃ、納得いかねえのは分かるけどなあ」
 そうだな、と陽子はうつむき、微《かす》かに苦笑を浮かべた。
「……わたしは、国を営むということがどういうことだか、まだよく分かっていない。良い国を作りたいと思う。けれど、良い国とはどういう国だろう?」
「それは難しいなあ」
「豊かな国であってほしい、と思う。わたしは慶の国民に飢《う》えてほしくない。だが、豊かだったらそれでいいんだろうか。わたしの生まれた国はそれは豊かだったけれど、良い国だったかと問われると、そうだとは言えない。豊かなぶん、たくさんのことがひずんでいた」
 なぜもっと、国の成り立ちに興味をもってこなかったのだろう。正直言って日本の政治の仕組みでさえ分からない。
「一国という、こんなに重いものを預けられていながら、それをどこに下ろせばいいのか分からない。——こんな王が本当に役に立つんだろうか」
 陽子、と口を開いたのは尚隆だった。
「陽子、国を治めるということは、実は辛《つら》い」
「——はい」
「だが、その苦渋《くじゅう》を決して民に見せてはならん」
「そうなんでしょうか」
「お前がいくら苦労しようと、悩もうと、民にしてみれば、己《おのれ》の暮らしが良くならなければ、いささかの値打ちもありはせんのだ」
「……確かにそうだ……」
「ならば、苦しい顔をしても良いことはひとつもない。むしろどんなに迷っても、迷いなどないという顔をしていろ。そのほうが民も喜ぶ」
「でも——」
「民が迷う君主を信じると思うか。統治に苦しむ王に暮らしを預けていられるか」
「……そうですね」
「迷っているときは、吟味《ぎんみ》している、と言え。なにも急ぐことはない。どうせ寿命は長いのだからな」
 でも、と六太が陽子の前に顔を突き出した。
「ものには程度ってもんがあるからな。尚隆みたいに、本当に悩まなくなったら問題だぞ」
「——六太」
 尚隆が渋《しぶ》い顔をするのを、六太は無視する。
「初勅《しょちょく》に迷うのはいいことだ。気軽に勅令を出す王は信用がおけない。勅令は少ないほどいいんだ。だいたい、勅令ってのは国の初めと終わりに多い。荒れた国を立て直すとき、平穏な国を滅ぼすとき」
「なるほどな」
「ちなみに尚隆はすっげー、勅令が多いからな。ぜったい見習うんじゃねーぞ」
 陽子は笑いを噛《か》み殺した。
「……覚えておこう」
「ま、のんびりいくんだな。——どうだ? 少しは国は落ちついたか?」
 とりあえずは、と陽子は答えた。
「気楽にいけよ。国をどこに連れていくか、なんてことは実は簡単なことだ。陽子ならどういう生き方をしたいか、そのために国がどうあれば嬉しいか、それを焦《あせ》らず、考えりゃいいんじゃねえか?」
「問題は、初勅だな……」
 そんなもの、と六太は笑う。
「とうとう初勅が出なかった王もいるんだぞ。万民は健康に暮らすこと、って初勅を出した強者《つわもの》もいる」
 陽子は軽く噴き出した。
「……まさか、本当に?」
「今の廉王《れんおう》は、それが初勅《しょちょく》だったらしーぞ」
「それはすごいな」
 軽く陽子が笑ったとき、ちょうど宰輔《さいほ》が入ってきた。こちらはもう礼装を平服に改めていた。陽子は笑んで彼を振り返る。
「——景麒、延王がおいでくださった」
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