衣類を整える女官《にょかん》たちも浮ついている。それを見やって、陽子《ようこ》は微《かす》かに苦笑を浮かべた。
「今日の御髪《おぐし》はどうしましょうか」
身辺を整えてくれるのは女御《にょご》という女官たちだった。
「……括《くく》るだけでいいから」
陽子が言うと、女御たちはいっせいに陽子をねめつける。
「お客さまがいらしているのに、そんなお姿ではお出しできません」
「そうですよ。特にお望みがないのでしたら、あたしたちに任せてくださいまし」
口々に陽子を叱《しか》って、彼女たちは陽子そっちのけで衣装の懸案にかかる。
「あの緑玉の花鈿《はなかざり》を挿《さ》していただきましょうよ」
「じゃあ、それに合わせて紅玉の歩揺《かんざし》を」
「あら、御髪《おぐし》が赤でいらっしゃるんだもの、紅玉よりも真珠がいいわ」
「じゃあ、玉佩《おびだま》も真珠にいたしましょうか」
陽子はげんなりと息を吐《は》いた。綺麗《きれい》な格好が嫌《いや》なわけではないが、髪を結《ゆ》いあげて簪《かんざし》だらけにされれば重い。落としはしないか気になるし、それでなくても長い裳裾《もすそ》のせいで動きにくいのがいっそう動きにくくてたまらない。
「括《くく》ってくれ。……着るものも袍《ほう》でいいから」
「そんな、とんでもない!」
女御《にょご》たちは目を剥《む》く。陽子はもういちど溜め息を落とした。
とにもかくにも、こちらの衣装は動きにくい、と異国で育った陽子は思う。登極《とうきょく》するまではほとんど浮浪児のような暮らしをしてたし、その間着るものといえば、荒い布地で作られた袍と半袴《はんこ》が精いっぱいだった。ほとんど最低の衣類だったと言っていい。それに慣れてしまったから、ずるずる裾を引く女物の衣装にどうしても馴染《なじ》めない。
——日本で着た振り袖《そで》だってこれほどひどくなかったな。
陽子は溜め息をつく。
基本的に、こちらにおいて男が着用するのは袍衫《ほうさん》、女が着用するのは襦裙《じゅくん》だった。衫は袍の下に着る薄い着物のことで、このまま外出することはあまりない。上に必ず袍を重ねる。襦裙は故郷ふうに言えば、ブラウスと巻きスカートということになるだろうか。襦がブラウス、裙がスカートで、このまま外出することはやはり少ない。必ず上からベストのような短い上着や、着物のような上着を重ねる。
どの衣類にもさまざまな形があり、それぞれに呼称があるが、総じて言えることは、裕福な者が着るものほど身丈《みたけ》も袖丈も長く、ゆったりとしているということだった。こちらでは布は決して安いものではない。貧しい者は布を節約するから、必然的に丈は短く、ゆるみのないものになる。ひと目で相手の経済状態が分かってしまうことに、異国育ちの陽子などは困惑してしまう。
同時に、こちらには身分制度がある。特に位の有無によって、生活の程度がまるで違っていた。国官のような有位の人々の間では、袍といえば身丈も袖丈も長い上着のことで、無位の人々が着るものを袍子《ほうし》と呼んで区別する。反対に無位の人々は普段自分たちが着ているものを袍と呼び、有位の人々が着る丈の長い袍を長袍《ちょうほう》と呼んで区別する。そのくらい歴然と暮らしに隔たりがあるのだった。
陽子の着るものには国の威儀とやらがかかっているから、裙は長裙《ちょうくん》、丈は呆《あき》れるほど長くて裾を引くし、襦の袖も大きく長い。重ね着は富裕と高位の証拠だから、さらにその上から幾重にも様々な着物を重ねられるからたまらない。それだけでも重くてうんざりするというのに、霞披《ひれ》を持たされ、玉佩《おびだま》だの首飾りだのと飾りをつるされ、髪には山ほど簪《かんざし》を挿《さ》される。それだけではあきたらず、耳墜《みみかざり》をつけさせようとする女官《にょかん》が耳に穴をあけようとしたので、耳に穴をあけるのは故郷の倭《わ》では犯罪者の風習なのだと嘘《うそ》八百を並べて、どうにかこうにか免除してもらった。
「……質素でいいから。お客さまといっても、延王《えんおう》なんだから」
女御《にょご》は陽子をねめつける。
「延王でいらっしゃるからこそ、そんなお姿はさせられません。あんなにご立派なお国の方なのですもの、主上《しゅじょう》にも見劣《みおと》りしないお姿をしていただかなくては」
「延王は武断の王でいらっしゃるから」
陽子は苦しい笑いを浮かべる。
「あまりなよなよした格好がお好きじゃない。なんて大げさな、と嫌《いや》なお顔をなさると思うな」
——そういうことにしておいてもらおう。
ですが、と残念そうに陽子と櫛《くし》を見比べた女御に陽子はさらに笑ってみせる。
「袍《ほう》とは言わないから、できるだけ簡素にしてくれないか?」