位は実際、礼節の目安であってそれ以上ではない。下位の者は上位の者に道で会えば道を譲《ゆず》る。——そのように、礼をもって待遇される、それを要求する権利がある、それだけのものだったが、ともあれ、それで国府で倒れた鈴《すず》は、いかにも丁重に扱われた。賓客《ひんきゃく》のための掌客殿《しょうきゃくでん》に連れて行かれ、瘍医《いしゃ》が呼ばれ、看護のための女官《にょかん》が呼ばれた。
礼をもって接され、丁重に遇される。その内実が単に礼儀だけのことにしろ、鈴はそんなふうに扱われたことは初めてだった。貧しかった生家、地主《じぬし》に頭を下げて暮らしていた家族、梨耀の足元に這《は》いつくばるようにして生きてきた自分、そんなものから比べれば、本当に夢のようだった。
——夢かもしれない。
眠りに落ちながらそう思い、柔らかな陽光が満ちた牀榻《しょうとう》の中で目を覚ましてさらにそう思った。
「お目覚めですか? お加減はいかがです?」
牀榻の外に控えていた女官が、鈴が目を開けたのに気づき、そう柔らかな声をかけてくる。
「ああ——ええ。大丈夫です」
鈴は身を起こす。節々が痛んで顔をしかめた。
「どうぞお休みになっていてくださいまし。朝餉《あさげ》はお召しあがりになれますか?」
「ええと——はい」
女官はやんわりと笑う。
「それはよろしゅうございました。深い傷がないとかで、ようございましたね。とにかくいま朝餉をしつらえて瘍医を呼んでまいります。それまでお休みになってくださいませ」
ありがとう、と出ていく女官を見送りながら、鈴は両腕で自分を抱きしめた。
「お休みになってください、だって。あんな立派な着物を着た女官が、このあたしに」
——信じられない。本当だろうか。
牀榻の幄《とばり》は上げられ、扉は折りたたまれて開け放してある。牀榻とはほとんど小部屋のような造作の牀《しんだい》を備えた寝所をいうが、その牀榻を鈴は見渡してさらに自分を抱きしめた。
「梨耀さまの牀榻より立派だわ」
錦《にしき》の夜具は暖かく軽い。汚れた小衫《じゅばん》のまま寝ているのが申しわけないほどだった。幄は綺麗《きれい》な模様の薄絹と厚い錦の二重になっている。広い牀の脇《わき》には細かな細工《さいく》を施した黒檀《こくたん》の卓、同じく黒檀の棚があって、昇り降りの際にちょっと足をのせる足台までが黒檀。着物をかける衣桁《いこう》は銀。
鈴はうっとりと牀榻《しょうとう》の中を見渡し、次いで牀榻の外、明るい陽光がいっぱいに射しこんだ房室《へや》を見渡した。
「……梨耀さまのお部屋の何倍も立派だわ」
実際、鈴は知らないが、この房室は掌客殿《しょうきゃくでん》の中でも最上の房室だった。鈴の洞府における位が分からなかったために、飛仙《ひせん》の下僕《しもべ》の中では最高位の卿《けい》と同格の待遇がなされたのである。
鈴がうっとりと牀榻の中から房室を見渡しているうちに、瘍医《いしゃ》がやってきた。彼は丁寧《ていねい》に鈴の怪我《けが》の様子を診《み》て、改めて手当てをすると深く一礼して退《さが》っていく。それと入れ違いに女官《にょかん》が食膳《しょくぜん》を調《ととの》えてきた。
食器は銀、差し出された着替えは色鮮やかな絹。
——本当に、夢みたい。
「お苦しいところはございませんか?」
女官に訊《き》かれて、鈴はうなずいた。
「大丈夫よ、ありがとう」
「もしもお加減がおよろしいようなら、お連れするよう申しつけられているのですが」
鈴はにっこりと微笑《ほほえ》んでみせた。
「大丈夫だと思うわ。——でも、どなたにお会いするの?」
女官は深々と頭を下げる。
「主上がお会いになるそうでございます」
鈴は目を丸くした。