「ここで温情を示せば、のちに恩義に対して不忠をもって応《こた》える者が必ず出ることが浩瀚の例でお分かりでしょう」
靖共の言葉に、不満の声があがる。ある者は大宰《たいさい》の謀反《むほん》そのものがなにかの間違いであろうと言う。ある者は理由あってのことなのだから、むしろ理由を追究し、のちの憂《うれ》いを断つために原因のほうを質《ただ》せと言う。さらにある者は、臣下を処罰《しょばつ》するにはまず温情をもってせよと言う。
共通しているのは、靖共に反対すること。朝廷は靖共派と反靖共派に二分されているのだ。もしも靖共が赦免《しゃめん》を望めば、これらの者は断固として処罰せよと言っただろう。
国を治めることがたやすいことでないことぐらい、陽子だって想像していた。だが、この種の困難は想像していなかった。なにがといえば溜め息をついて暗に陽子を非難する臣下、溜め息では飽《あ》きたらず武器を集める臣下。こちらの世界の事情が分からない陽子には、臣下の奏上に耳を傾け、言い分を吟味《ぎんみ》するしか術《すべ》がないのに、その奏上の実態すらがこれ。
臣下の溜め息は聞きたくない。だが、どちらの意見を容《い》れても、他方が溜め息をつく。結局、権を争う連中の、双方を満足させることなど、できないのだ。
そう、密《ひそ》かに溜め息をついて、陽子はふと視線を上げた。
——いつの間《ま》にが、顔色を窺《うかが》っている。官の、景麒の溜め息|怖《こわ》さに、顔色を窺い、少しでも満足してもらえるよう、媚《こ》びようとしてはいないか。そしてそんな自分に辟易《へきえき》して、いっさいを投げ出したい衝動にかられている。
「そもそも大宰の企《たく》らみに、冢宰《ちょうさい》が気づかぬとはどういうわけか」
「いや、冢宰に不満があって大宰も短慮を起こされたのでは」
「武器をもって王を狙《ねら》えば大逆であろう。それ以上の忖度《そんたく》が必要なのか」
「浩瀚を野放しにしておいた官の責任を問いたい」
「その浩瀚はどこにいる。逃がした秋官の責も大きいであろう」
当の浩瀚は麦州から堯天《ぎょうてん》へ連行される途中、逃走した。秋官が行方《ゆくえ》を追っているが、いまにいたるも捕まっていない。
陽子は軽く苦笑した。
——もう、たくさんだ。
「分かった」
陽子は口を開く。
「三公を罷免《ひめん》し、浩瀚とともに国外追放を命じる」
手ぬるい、と靖共らからは不満の声があがり、厳しすぎると他派からも不満の声があがった。
「再び同じようなことが起これば、どうなさいます」
異論を唱《とな》えた冢宰靖共を陽子は見る。
「六官をまとめるのが、冢宰《ちょうさい》の責任。六官の中から大逆のあった責によって、靖共《せいきょう》には冢宰を降りてもらう。大宰《たいさい》に代わって天官を治めよ」
諸官が呆然《ぼうぜん》と口を開けて、陽子は軽く笑った。
「三公が空《あ》いた。春官長、秋官長、地官長をそれぞれ三公に叙《じょ》す」
「……主上」
声をあげた景麒を、陽子は目線で押し止める。
「のちの人選は各長に任せる。ただし、冢宰はしばらく景麒に兼任させる」
「——前代未聞でございます! 宰輔《さいほ》に実権をお与えになるなど!」
いっせいに不満が上がったが、陽子は言い放つ。
「——勅命《ちょくめい》である」
言い捨てて立ち上がる。玉座を降りて退出した。