大変なことになった、と思いながらも、妙に安堵していた。
景麒は二王に仕《つか》えた。先王は諡《おくりな》を予王《よおう》という。在位はわずかに六年、その大半を王宮の奥に閉じこもって過ごした。——彼女は政務に興味を抱けなかった。
景麒はその青白い顔を思い浮かべる。
彼女は優《やさ》しく、思慮深い性格だった。内気に過ぎることを除けば、決して玉座に価しない人柄ではなかった。——だが、彼女が望んでいたのはあまりに凡庸《ぼんよう》な幸せだったのだ。
予王は民が幸せになることよりも、まず自分がつましくも穏やかに暮らすことを望んだ。豊かでなくてもいい、穏やかで安らかな暮らしを。なんの誉《ほま》れも波風もなく、静かに土地を耕し、夫を持ち、子供を持つ暮らしを望んでいたのだ。
彼女が織る機《はた》の音がいまも耳に残っている。
玉座に就《つ》いた当初、実直に責務を果たそうとした予王は、すぐに官との拮抗《きっこう》に飽《あ》いた。先帝の残した官吏《かんり》、互いに利権を争って覇《は》を競う者たちに囲まれた暮らしを疎《うと》んじた。彼女は次第に王宮の奥に引きこもるようになり、そこで機を織るようになった。そうやって、己《おのれ》に課せられたものを拒絶しようとしたのだ。
「またか、と思ったのだが……」
景麒は苦笑する。陽子に初めて会ったとき、予王によく似た娘だと思った。またか、と思った。正直に言うと、辟易《へきえき》していた。
「だがお変わりになられた……」
少なくとも陽子は予王と違い、己と闘うことを知っている。予王と同じく、官に畏縮《いしゅく》して玉座を疎んじる気配があったが、陽子はそれを己で自覚した。それを乗り越えるために自ら動き始めた。——この差は大きい。
「——班渠《はんきょ》」
景麒は己の使令《しれい》を呼ぶ。はい、と足元に落ちた影の中から答えがあった。
「主上におつきして、お守りせよ。決して危険のないように。——あの方は慶《けい》にとってかけがえのない方なのだから」