旌券とは、旅をするにあたって携帯する小さな木の札のことだった。人は国から与えられた土地を基盤に生き、国もまた土地を基盤に人を治める。給付された土地から離れることは官の保護をなくすことを意味した。
このために発行されるのが旌券、表には本人の姓名が書かれ、裏にはおおむね発行された役所の名が書かれる。役所にある戸籍《こせき》の上に旌券を置き、その縁を三か所戸籍ごと小刀で突いて、万一照合あったときにはその傷を重ねて確認する。ときには、旌券の裏に身元保証人の名が記されることもあった。
この旌券によって人は土地を離れても、事あったときにはもよりの官府に保護を求めることができる。他国に旅するときにも同様だった。旌券なく旅すれば浮民《ふみん》と言われ、法の保護を失ってしまう。たとえ隣の街までの往復でも、管括する官府が違えば旌券が必要になる。それで誰もが常に携行するのが習わしになっている。
鈴の旌券の裏書きには御名御璽《ぎょめいぎょじ》、采王《さいおう》自らが発行した旌券である。旌券に結び合わせている小板の表にある焼き印は烙款《らっかん》といわれる。界身《かいしん》が発行した保証の印だった。
采王|黄姑《こうこ》は鈴に多額の旅費を与えてくれた。これは才国揖寧《さいこくゆうねい》にある界身に納められ、この界身が烙款を発行する。界身には強力な座《ざ》がある。他都市他国の界身と強固に組織されていて——この組織を座という——、座に参加している界身の烙款があれば、どこであろうと同じく座に参加している界身から金銭や為替《いてい》を受け取ることができる。この烙款は保証を発行した界身と、受け取ることのできる限度額を部外者には読めない界身座独自の文字で示してあった。
「……すごい」
つぶやいて鈴は、旌券を丁寧《ていねい》に内懐《うちぶところ》にしまう。中の帯に通した紐《ひも》に結びつけた。
王宮に務められないのは残念だけど、と鈴は思う。少しだけ鈴の置かれた境遇は良い方向に動いた。黄姑が下官に命じて鈴を騎獣で虚海《きょかい》沿岸の永湊《えいそう》まで送ってくれた。十日余りの旅を経《へ》て虚海の沿岸に着けば、船に乗れるよう手配をしてくれる。客船がいいか、商船がいいかと訊《き》かれた。客船は奏《そう》までの便しかない。旅客船を選ぶなら、慶《けい》まで何度か乗り継がなくてはならない。荷を運ぶ虚海廻りの商船に便乗すれば雁《えん》への船がある、途中慶にも停泊するが、と。鈴は商船で構わないと答えた。それで下官が商船のひとつに話をつけてくれたのだった。
これで慶まで旅ができる。采王が裏書きしてくれた旌券があれば、景王《けいおう》に会うことだって難しくはないだろう。
——会える。
同じ蓬莱《ほうらい》から来たひと。きっと鈴を分かってくれるこの地上で唯一のひと。