——懐《なつ》かしい。
鈴は船端《ふなばた》からその暗い海を見下ろした。漆黒《しっこく》の海、星のように明滅する光。懐かしい故郷から流されて、この世界で最初に見たのはこの海だった。鈴はなにも分かっていなかった。自分が溺《おぼ》れそうになった海がどれだけ故郷からは遠かったか。海中に明滅する光は魚のものだと、そういえばそんなことでさえ、鈴は知らなかった。
深海にあって光を発する妖魚《ようぎょ》たち。こんなに小さく見えるけれども、あれは実際、艀《はしけ》なら呑《の》みこんでしまえるぐらい大きい。嵐《あらし》の時でもなければ、決して水面には浮かんでこないから、危険ではない。人を襲《おそ》う妖魔《ようま》はおおむね獣《けもの》や鳥で、それは黄海《こうかい》からやってくる。
船は才《さい》の南にある港を出て、虚海を東進していく。内海ではなく虚海をゆくのは、途中に通る巧《こう》の王が斃《たお》れて、国が荒れているからだった。
「ふつう、三年や五年じゃ、妖魔があんなに出没するようにはならないんだが」
顔見知りになった水夫は教えてくれた。
「とにかく、天災よりも妖魔がすごい。令巽門《れいそんもん》に通じる巽海門《そんかいもん》は特にひどいな。内海を雁から帰ってきたやつが、黄海から渡る妖魔の群れで陽《ひ》が陰ったと言ってた」
「まあ……」
世界中央を丸く閉じる金剛山《こんごうざん》、その内側を黄海という。黄海へ通じるのは四《し》令門《れいもん》だけ、そのうちの南東にある門を令巽門といい、巧と黄海を隔てる海を巽海門といった。
「よっぽどあくどいことをやったんだろう、死んだ塙王《こうおう》は。死んでまだ何か月も経たないっていうのに、あのありさまだからな。巧の連中はたいへんだ。あれじゃあ次の王が起《た》つまでに、どれだけ国が荒れるやら」
「たいへんなのね……」
妙《みょう》な国だ、こちらの世界は。鈴はそう思う。天の神さまが世界を創ったといい、実際、子供のなる木やら、不思議な生き物やら、本当に神さまがいてもおかしくはない気がするけど。——でも、だったらなぜ、神さまは国が荒れないように創らなかったのだろう。
——神さまがいるんなら、海客《かいきゃく》なんてないようにしてくれればいいのに。
鈴を助けてくれればいいのに。