船は奏《そう》の沿岸に沿って東に向かい、途中、三か所に寄港した。最後に寄ったのは巧《こう》に近い小島の港、そこから船は巧と舜《しゅん》に挟《はさ》まれた内海を北上していく。内海の水は虚海の水よりもわずかに青い。暗い紺青《こんじょう》をしていた。
「どうして海の色が違うのかしら……」
船端《ふなばた》に両肘《りょうひじ》をのせ、そこに顎《あご》を埋めていると、ふいに隣から声がした。
「浅いからだよ」
鈴はあわてて声のほうを振り返り、すぐ脇《わき》で背伸びをしながら海をのぞきこんでいる男の子を見つけた。最初鈴ひとりだった旅客は、三つの港に寄るうちに八人ほどに増えていた。そういえば、最後に立ち寄った没庫《ぼっこ》の港で乗ってきた旅客のなかにこんな子がいたな、と鈴は思い出した。
「浅いの?」
「浅いと、海の色は青くなるんだ。——ねえちゃん、なんにもしらないんだなあ」
鈴はちょっとその子供をねめつける。
「だって海の側に住んだことがないんだもの」
「そっか」
手摺《てすり》を離して、子供はにっと笑う。十二かそれぐらいだろうか。雀斑《そばかす》が明るい印象の、蜜《み》柑色《かんいろ》の髪をした子供だった。笑うとそれだけでぱっと顔が輝いて見える。
「……あなたは雁《えん》に行くの? 慶に行くの?」
慶、と子供は答えた。そうなの、と鈴は微笑《ほほえ》む。
「あたし、鈴よ。よろしくね」
子供は首をかしげた。
「かわった名前だなあ」
「うん。あたし、海客なの」
「かいきゃく?」
こちらの人間でも知らないことがあるらしい。
「蓬莱《ほうらい》から来たの。流されてしまって」
へえええ、と子供は大きく口を開けた。
「ほんとに? すげえなあ」
「すごくない。大変なことなの。もう二度と家には帰れないんだから」
ふうん、とつぶやいて子供はもういちど背伸びをした。船端《ふなばた》から海をのぞきこむ。
「ねえちゃん、運が悪かったんだな」
「そうね……」
舷側《げんそく》を洗う波は白い。暗い海面に鮮明だった。目を沖へ転ずれば、鮮やかに天を切り取る水平線。そのはるか彼方《かなた》に鈴の生まれた国はある。二度と戻れないのだと聞いて、どれほど泣いたろう。仙《せん》になれば虚海を越えることができると知って梨耀《りよう》によく仕《つか》えれば、そのうち海を越えることのできる仙に取り立ててもらえるのでは、などと甘い夢もみた。同じ飛仙《ひせん》でも、伯位の仙でなければ越えられないのだと知ったときの絶望。
「元気だしなよ」
子供が鈴の腕を叩《たた》いた。
「家に帰れないやつなんか、いっぱいいるもん」
鈴は子供をねめつけた。
「いっばいいないわ。海客なんて本当に少ないんだから」
「海客じゃなくてもさ。国が荒れて、家が焼けて、帰れなくなったやつだっているんだし」
「そんなの、あたしの言う帰れないとは違うわ! もといた場所に帰れるんじゃない。家なんか焼けたって建てれば済むことでしょう。懐《なつ》かしい場所にもう二度と帰れないって意味分かる? 分かって言ってる?」
子供は困ったように鈴を見上げた。
「同じだと思うけどなあ……」
「あんたは子供だから、分からないのよ」
子供はぶくんと頬《ほお》を膨《ふく》らませた。
「子供だって大人だって、悲しいのは同じだい。家に帰れないと辛《つら》いのも同じじゃないのか? 家に帰れなくて悲しいのは分かるけど、そんなの、いっぱいあることだろ」
「だから、意味が違うって言ってるでしょ!」
子供はさらに膨れっ面《つら》をした。
「じゃあ、勝手にそこで泣いてりゃいいじゃないか。ごめんな、邪魔《じゃま》して」
言い捨ててくるりと背を向ける。
——この国のひとたちは、いつもこうだ。なにも分からないくせに。
「嫌《いや》な子ね!」
子供は振り返りもしない。
「あんた、名前は」
清秀《せいしゅう》と子供は背中ごしに投げ捨てた。