楽俊《らくしゅん》は毛並みに覆《おお》われた尻尾《しっぽ》をぴんと立てた。それを面白《おもしろ》そうに見やって、六太《ろくた》は指の先で落ちつくように伝える。ちらりと局囲の卓で食事をしている人々と食膳《しょくぜん》を運ぶ店の者を見やった。
「静かにな」
「ああ——すんません」
六太はにっと笑って、前に落ちてきた布をうっとうしげに払う。髪を覆って頭に巻かれた布のせいで、とりあえず単なる子供にしか見えない。
「ちょいと家を出るんだとさ。……旌券《りょけん》を送ってくれってんで、そうしてやった」
「なんでまた……」
さあなあ、と六太は団子を口に放りこんだ。
「いろいろあんじゃねえのかな。こないだもなんか悩んでる感じだったし」
そうですね、と楽俊はつぶやく。
「陽子は真面目《まじめ》だからなあ。おまけにあそこには輪をかけて真面目な堅物がいるし。ちから抜いて気楽にやれ、なんて言ってもできそうな連中じゃないしな」
楽俊はうなずいて、箸《はし》を手にとりなおしたが、どうにも手がとまる。
「ちょっくら、様子を見に行ってみようかなあ……」
ちょうど正月をはさんだ二《ふた》月、大学は長い休暇に入る。
「そりゃ、過保護」
六太は揶揄《やゆ》するように楽俊を見る。楽俊はしおしおとひげを垂《た》れた。
「けど、母ちゃんを迎えに行きたいし、ついでに」
楽俊の故国——巧国《こうこく》は瓦解《がかい》した。王がついに斃《たお》れたのだ。六太は楽俊が母親を呼び寄せると言っていたのを思い出した。
「ちょっとあちこちの国のことも知りたいし、慶《けい》の様子を見とこうかと」
「見聞を広めるのはいいことだけどな。——そだ」
六太は団子の串《くし》を楽俊に向ける。
「母ちゃんのことならおれがなんとかするからさ、お前、柳《りゅう》に行ってみねえ?」
「——柳」
うなずいて六太は声を低めた。
「近頃、柳の沿岸に妖魔《ようま》が出る」
「……まさか」
「戴《たい》から流れてくるんだろうかって話だが、傾いてない国に妖魔は入れないもんだ。どうもキナ臭い」
楽俊は考えこむようにした。
「ちょっと柳の様子をうかがいたいってんで、仕事放り出して、いまにも出て行きそうなやつがいるからさ。楽俊が行ってくれると、助かるんだがなあ」
「……いいですよ、おいらが行っても」
六太は満面に笑みを浮かべた。
「助かる。——どうも妙《みょう》な感じだな。戴だろ、慶だろ、巧《こう》だろ? そのうえ柳じゃ、近頃|雁《えん》のまわりに落ちついてる国がないことになる」
「本当に」
「もしも柳になにかあるんなら、少しでも早く知っておきたい。悪いけど、頼む。そのかわり、母ちゃんのことと陽子のことはおれが気にかけておくからさ」
楽俊はうなずき、次いで東に思いを馳《は》せた。
「——陽子なら大丈夫だよ」
楽俊は六太を振り返る。
「信頼してやれ。そりゃ、しばらくは大変だろうさ? けど、あいつなら、ちゃんと抜ける。……懐達《かいたつ》って言葉を知ってるか?」
「……いんや」
「慶の言葉だ。男王が懐《なつ》かしい、ってこと。ひどい女王が続いたからな、無理もないと思うけど。実際、おれも女王だってんで、大丈夫かなと思ったもんな。——ま、すぐにそういう心配はやめたけど。陽子は女だってことでずいぶん器量を疑われてる。……だからさ、おれたちだけは信じといてやろうや」
にっと笑った六太につられて、楽俊も笑う。
「はい。……そうですね」