「あちらの様子は?」
陽子が声を向けた方向にはなんの姿もない。そもそも臥室の中には、陽子以外の姿がなかった。
「……とりあえずはつつがなく」
返答はどことも知れない場所からある。聞く者があれば床《ゆか》の下だと思ったかもしれない。それはあながち誤りではない。驃騎は地中に隠形している。
使令《しれい》は天地の気脈の中にもぐりこむことができる。それを伝って人知れず移動することができた。これを遁甲《とんこう》という。景麒《けいき》もまた風脈に乗って遁甲できたが、さほどの距離を移動できるわけではない。少なくとも、堯天《ぎょうてん》の内宮《ないぐう》からはるばる北韋《ほくい》まで旅することはできなかった。
景麒自身が訪ねてはこれないために、使令を寄こした。驃騎《ひょうき》はこまごまと宮中の様子を報告する。戻れば景麒に陽子の様子を報告するのだろう。
「——浩瀚《こうかん》は相変わらず、行方《ゆくえ》をくらましているようですが」
陽子はうなずく。弑逆《しいぎゃく》を企《くわだ》てた浩瀚は、捕縛の手を逃れて行方が知れないまま。
「諸官の中には、浩瀚を恐れて主上《しゅじょう》は雁《えん》に逃げ出したのだと、噂《うわさ》する者もございますが」
くすりと陽子は笑った。
「それは言われるだろうと思った。……まあ、そういうことにしておこう」
「ですが、本当にお気をつけください。浩瀚が主上の御在所を知って再び弑逆を企《たく》らむやもしれません」
「心配はいらない。班渠《はんきょ》と冗祐《じょうゆう》がいるから」
「——そのようにお伝えします」