「ねえちゃん、いーものやるよ」
鈴《すず》が甲板《かんぱん》で海を見ていると、清秀《えいしゅう》が駆《か》けてくる。
「ほら」
清秀が自慢そうに出したのは砂糖煮にして干した杏《あんず》だった。
「どうしたの、これ」
「くれた」
清秀はにんまり笑う。
——妙《みょう》な子だ。あれほど鈴を罵《ののし》っておいて、だからその後鈴を敬遠するかといえばそれかない。むしろ頻繁《ひんぱん》にまとわりついてくるようになった。ちゃっかり女部屋のほうに来て鈴の脇《わき》で寝たりする。鈴もなんだか、怒る気概をなくしてしまった。清秀を子供だと侮《あなど》るとひどい目にあう。この子は本当に口が達者なのだ。
同じ部屋で寝るようになったせいもあって、鈴は清秀が頻繁《ひんぱん》に苦しんでいるのを目撃することになった。ほとんど毎朝のように頭を抱えて呻《うめ》いている。休めば治《なお》るという言葉は嘘ではないようだったが、治り際に吐《は》くことがある。いったん治るとあとはけろりとしていたが、そのかわりにしばらく足元が定まらず、蛇行《だこう》して歩いていることが多かった。
——ひょっとしたら、清秀には持病があるのではないだろうか。単なる頭痛とは思えない。
妖魔《ようま》に襲われたという。一度鈴はその傷を見た。後頭部、ちょうど髪を束ねるあたりに小さく掻《か》ききられたような傷があった。さほどひどい傷ではなかったので鈴は安堵《あんど》したのだが、その傷を負って以来、頭痛がするようになったという。
「ねえ、清秀、本当に大丈夫なの?」
口に杏《あんず》を放りこみかけていた子供は、きょとんと鈴を見た。
「——なにが?」
「怪我《けが》よ。まだ痛むってことは、治ってないっていうことじゃない。大丈夫なの?」
「うーん。大丈夫なんじゃねえの」
「お医者に診《み》せた?」
いんや、と清秀は首を振る。
「そんなひま、なかったもん。でも、平気だよ。休んでれば治るんだし」
「少しは軽くなってるの? なんだかひどくなってない?」
少しずつ、呻いている時間が長くなっているような気がする。目覚めてから後も、蛇行がおさまるまでが長い。
清秀は困ったようにした。
「そうかなあ……」
「ここ二、三日、目をこすってるでしょ? 目も気持ち悪いの?」
「なんか、見えにくいんだ」
鈴は溜め息をついた。
「やっぱり、どこか悪いのよ。繰り返すんじゃ、治るとはいわないわ。慶《けい》に着いたら、ちゃんとお医者に診せないと」
「うん……」
「行く先は決まってるの?」
清秀は首を振る。
「かあちゃん、いないし……」
「呆《あき》れた。あてもないのに慶に行こうとしてるの? それだったら奏《そう》にいたほうがよかったんじゃない」
清秀はつんとそっぽを向く。
「かあちゃんが帰るって言ったんだ。だから、帰るんだ」
鈴は溜め息をつく。
「とにかく、慶に着いたら医者に診《み》せるのね。死んじゃってもしらないから」
ぴくん、と清秀は肩を震わせた。
「ねえちゃん仙人《せんにん》だから、分かる? ……おれ、やっぱ死ぬのかな」
清秀、と鈴はその子供の怯《おび》えた顔を見た。
「言ってみただけよ。べつに本当に死ぬなんて思ってないわ」
「ねえちゃんって、性格悪い」
「悪かったわね。あんただって充分悪いわよ。そういう人間は滅多なことじゃ死なないの」
だよな、と清秀は笑う。鈴は少しの間、その笑顔を見つめていた。