船員の声が笑っている。
「ちがうよー」
清秀は抗議した。
鈴は物陰から顔を出して、それを見て眉《まゆ》をひそめる。蛇行《だこう》がひどい。もう日が傾こうというのに、治《なお》っていない。
「でも、そうなんかな。くらくらする」
「なにを力んでるんだ、お前は。ちったあ落ちつけ。慶に戻れるってんで、緊張でもしてんのか?」
「してないってば——」
船員がそういうのは、清秀の手が震えているからだ。震えというよりも、痙攣《けんれん》に近い。
「ま、酔ったんならおとなしく寝てろ。ふらふら歩きまわってると、海に落ちるぞ」
はあい、と清秀は笑って、船室に消えていった。鈴はなんとなくそれを、安堵《あんど》した気分で見る。清秀を見ているのがわけもなく怖《こわ》い。頭痛だけなら震えだけなら、不安には思わないかもしれない。ただ、なにもかにもが重なって、しかも日を追うごとに悪くなっていると、不安になる。
鈴は船室に清秀を追っていった。清秀はつくねんと船室に座っている。
「……大丈夫?」
清秀は振り返り、それから怪訝《けげん》そうに幾度か視線をさまよわせた。何度も瞬《まばた》きし、目を掌《てのひら》でこする。
「どうしたの?」
「おれ、あんまり大丈夫じゃねえみたい。……すげえ目がかすむ」
「……大丈夫なの?」
鈴はあわてて駆《か》け寄り、その右に膝《ひざ》をついて清秀の横顔をのぞきこんだ。
「苦しい? 頭は痛くない?」
清秀は鈴と正面の壁を何度か見比べるようにした。
「……ねえちゃん、おれ、ねえちゃんが見えない」
「——え?」
「こうやって前を見てると、ねえちゃんの姿が見えないんだ」
鈴はあわてて前を向いた。人間の視野は広い。横にいる清秀が視野の端《はし》にちゃんと見える。
「おれ、どうしたんだろ」
子供の顔は怯《おび》えた色をいっぱいに浮かべている。
「清秀——」
怯えた顔が歪《ゆが》んで、泣くのかと思ったが、案に相違して清秀は笑う。目元に怯えた色を漂わせたまま。
「おれって、けっこういいやつだったんだ……」
「清秀」
「やっぱ、死んじゃうみたい」
「そんなはず、ないでしょ! ばかなことを言わないで!」
くしゃりと清秀は顔を歪《ゆが》める。
「一緒に行こう」
鈴は震えている手をとった。
「一緒に、堯天《ぎょうてん》に行こう?」
「堯天……?」
「あたしは、景王《けいおう》に会いにいく。王ならきっと清秀を治《なお》してくれるわ。王宮には偉いお医者だっていっぱいいる。——だから、一緒に堯天に行こう?」
清秀はうつむく。
「いいよ、そんな……立派なひとに会えないよ」
「だって、苦しいでしょ? 頭痛、ひどくなってるんでしょ? このままもっとひどくなったらどうするの?」
「……本当に治してくれるかなあ……」
「景王が駄目だって言ったら、才《さい》へ連れていってあげる。采王《さいおう》ならきっと治してくれるわ」
うん、と清秀はうなずく。ぱたりと小さく涙が落ちた。
「……おれ、死ぬの、怖《こわ》いよ」
「清秀」
「誰だってみんな死ぬんだけど、自分が死ぬのだけは、笑えないよ……」
「ばかね。大丈夫だったら」
へへへ、と清秀は泣き笑いする。
「おれ、意外に修行が足《た》りなかったみたい」
「子供が生意気なこと、言わないの」
うん、と清秀は鈴の膝《ひざ》に顔を伏せる。
「……大丈夫よ。きっと、大丈夫だから」
うん、とうなずく清秀の背を鈴は撫《な》でていた。