見通しが立ったのに満足して、祥瓊はさっさと臥室《しんしつ》に戻って眠りについた。錦《にしき》の衾褥《ふとん》、牀榻《しょうとう》に入れられた火鉢《ひばち》、心地よく暖かく寝て、祥瓊は深夜、扉を叩《たた》く音で目を覚《さ》ました。
「——誰?」
祥瓊は眉《まゆ》をひそめる。あの鼠がなにか用でもあるのだろうか。
すみません、という声は、食事を運んできた若者のものだった。祥瓊はのろのろと起き、大袖《きもの》を羽織《はお》って扉へ向かう。鍵を開けながら、扉の向こうに声をかけた。
「——どうしたの?」
「戴《たい》のことでちょっと思い出したことがあって」
祥瓊は鍵を外《はず》した。軽く扉を開こうとするやいなや、いきなりその扉が乱暴に引き開けられて、祥瓊は身をすくませた。起居《いま》に立っていたのは、あの若者と、青い鎧《よろい》の兵が数人。
「——なに……?」
大きく鼓動が打った。かけあがる脈を、祥瓊はなんとか無視する。
「——旌券《りょけん》をあらためる」
言い放たれて、祥瓊の顔から血の気が引いた。
「なんだっていうの、こんな時間に。……明日にして」
干上がりそうになる喉《のど》から無理に声をあげて抗議してみたが、兵は臥室《しんしつ》に押し入ってきて祥瓊を取り囲んだ。
「旌券はどこだ」
膝《ひざ》が震え始めた。
「……実は、なくしたんです……」
「名は」
「玉葉《ぎょくよう》——孫《そん》玉葉」
兵は表情のない顔で祥瓊と同僚を見比べた。
「吉量《きつりょう》を持っているな? どこで手に入れた」
「……覚えて……ないわ」
——不審すぎる。自分が思わず口にした言い訳のまずさに、我ながら祥瓊は唇《くちびる》を噛《か》んだ。
「荷物をあらためろ」
「やめて! 勝手なことをしないで!」
叫びながら、祥瓊は終わりだ、と感じていた。せっかく柳《りゅう》まで来ておいて。供王《きょうおう》が捕縛《ほばく》の手を伸ばしてきたのだ。逃げなければ、と祥瓊は視線をさまよわせたが両肩を兵に押さえられている。活路があったところで、逃げ出すことは不可能だった。
兵たちは牀榻《しょうとう》に近寄り、革帯でしばった小さな行李《こうり》を引き出した。中を開け、着替えの間から細々《こまごま》とした品を掴《つか》み出す。兵の一人が紙面を手に持って、それらの品々と文面を見比べていた。
「珠帯《おび》、帯頭《かなぐ》は金の地金に龍鳳文《りゅうおうもん》。鳳形耳環《ほうおうのみみかざり》、孔雀石《くじゃくいし》の珠金《かざり》。……あるな」
紙面の文字面を口の中で読み上げるようにした兵は、祥瓊を振り返った。
「耳環がふたそろい、釵《かんざし》がひとつ足りない。どこへやった」
祥瓊は答えない。——というよりも、震えで声が出せなかった。
捕まる。罪に問われ、裁《さば》かれる。やっとそれに思い至った。なぜだか兵に踏みこまれる瞬間まで、そのことを念頭に浮かべたことがなかった。
盗みの罰は——と祥瓊は記憶を探り、全身を粟立《あわだ》てた。磔刑《はりつけ》だ。街頭に結びつけられ、いくつもの釘《くぎ》を打って殺される。
「どーしたんです?」
向かいの臥室《しんしつ》が開いて、鼠《ねずみ》が顔を出した。眠そうに目元をこするその半獣に祥瓊はとっさに指を突きつけた。
「わたしはなにも知らない! ——これはあいつがくれたのよ!!」
「——へ?」
ぽかんとした鼠を兵たちは見やる。
「旌券《りょけん》は」
「そっちにあるけど……」
「名は」
「……張清《ちょうせい》」
書面を確認していた兵は淡々とそれをたたんだ。他の兵に向かって顎《あご》をしゃくる。
「——連れていけ。ふたりともだ」