牢は官府《やくしょ》の奥にある。この街にある官府が郡のものなのか、郷のものなのか、それとも県のものか、それともそれ以下のものなのか、祥瓊は知らない。蔽獄《さいばんしょ》があるのは県府以上、州府では犯罪事件は取り扱わないが、牢はどこにでもあった。
祥瓊は府第《やくしょ》の正殿に連れていかれ、その正堂《ひろま》の床《ゆか》に腰に縄《なわ》を打たれたまま座らされた。正面の壇上には太った中年の男が座っている。縄を持った獄卒が祥瓊をその場に突き倒し、無理やり頭を下げさせて、叩頭《こうしゅ》させた。
「——芳国《こうこく》公主、孫昭《そんしょう》だな」
「……違います。わたしはそんなご立派なひとじゃありません」
男は面白《おもしろ》そうに笑う。
「ほう? ——恭国供王《きょうこくきょうおう》より知らせがあって、芳国公主が御物《ぎょぶつ》を盗んで恭を出たとか。捕らえてほしいとの要請があったと主上《しゅじょう》から下達があった。供王からはご丁寧《ていねい》に盗まれた品の目録がとどき、これを添えて青鳥《せいちょう》が来た。その目録にあった品のほとんどが、お前の荷の中にあったのはどういうわけか」
青鳥とは、官府《やくしょ》ごとの伝令に使われる鳥を言う。
「もらった……んです」
祥瓊は床《ゆか》に額をつけたまま吐《は》き出す。
「宿で同房だった半獣《はんじゅう》に、もらったんです」
——申しわけないけれど、どうあっても恭には帰りたくない。後ろめたい気分で祥瓊は断言する。突然、壇上の男が大声で笑った。
「そんな虚言を信じる官吏《かんり》がいると思うか?」
「——でも!」
「なるほど、いかにも世間知らずの公主らしい。——御物を盗んで恭国王宮を出奔《しゅっぽん》しておきながら、暢気《のんき》に宿に泊まっている。吉量《きつりょう》などという目立つものを捨てもせずに連れてまわる。さっさと品を換金すればいいものを、丁寧に荷の中に隠してのう」
祥瓊は唇《くちびる》を噛《か》んだ。実際、まずいやり方だったと、自分でも思う。自由になれたのが嬉《うれ》しくて、その他のことに頓着《とんちゃく》する気になれなかった。
「盗んできたのが飾りばかりなのは、女ゆえか。愚《おろ》かなことだの」
県正《けんせい》、と壇上へ向けて声がした。するとここは県府だったらしい。
「公主ともあろう者が、そんな愚かなことをしますでしょうか。やはりこの女、公主ではございませんのでは」
「それもそうかの」
県正の声は嬉々《きき》としている。
「なるほどな、確かにそうだ。——もう一度|訊《き》く。お前は公主|孫昭《そんしょう》か?」
違います、と藁《わら》にもすがる思いで、祥瓊は床に叫んだ。
「では、公主は盗んだ品をお前に押しつけ、自分は行方《ゆくえ》をくらましたというわけだ。しかし、せっかく盗んだ品を他人にくれてやるものかの? いいや、そんなことはありはせん。女、どうだ? これは本当にもらったのか? ——それとも、お前が盗んだのか?」
祥瓊には答えられない。
「顔を上げて、儂《わし》の目を見て答えよ。——これは盗んだのか?」
祥瓊は顔を上げ、そのにんまりと笑った赤ら顔を見た。
「ち……違います」
「では、他人からもらったのか? そんなばかな施しをする者がどこにいる。——ああ、それとも」
県正《けんせい》の声は猫《ねこ》なで声に変じた。
「これはそもそもお前の持ち物か? 罪に陥《おとしい》れられるのを恐れて、もらったと言っておるのか? ならば品が目録に似ておるのは偶然、恭国《きょうこく》の品とはなんの関係もないことになるが」
祥瓊はその男の含《ふく》みありげな視線を受けてうなずいた。
「……そうです」
「お前が持つにしては、いささか贅沢《ぜいたく》にすぎる品のようだが?」
「……でも……わたしのものです。……本当です」
「怪《あや》しいな。——だが、官府《やくしょ》は忙しい。いろいろとな。怪しいというだけでいちいち調べておったのでは、いっこうに埓《らち》があかん。お前が自分の身柄をあがなうというのなら、それで釈放《しゃくほう》してもよい」
男の含みを悟って、祥瓊は内心で呆《あき》れた。この男は賄賂《わいろ》を要求しているのだ。堂内にいる下官も、にやにやと笑っている。
「もしも……わたしをお許しくださるのなら、荷の中の品々、吉量《きつりょう》は県正に献上いたします」
そうか、と県正は膝《ひざ》を打った。
「なかなか処世を知っている娘だ。では、それで不問に付そう。——どうも下知された目録の品と似ておるようだが、お前のものなら偶然であろう。供王の御品なら受け取るわけにはいかんが、お前のものなら問題はない」
「わたしのものです」
祥瓊が断言すると、県正とその下官らはにまりと笑った。
「分かった。では、お前の身柄は釈放しよう。品と吉量は預かる。荷と財嚢《さいふ》は返すゆえ、好きにするがいい」
「……ありがとうございます」
祥瓊は頭を下げ、面に浮かんだ表情を隠した。