最初に鈴が探したのは、官許《かんきょ》の架戟《ぶきや》だった。
妖魔《ようま》は通常の武器では傷つけられない。やわな刀では刀のほうが折れてしまう。妖魔を狩るためには特殊な呪《じゅ》を施した武器が必要で、これは国府、冬官府《とうかんふ》でしか作ることができないことから、特に冬器《とうき》と呼んだ。冬官が官許の商人に冬器を卸《おろ》すのである。この冬器商を特に架戟《かげき》という。目印として店の入り口に官許の札と戟《ほこ》を架《か》けておくからだった。
架戟で扱うのは甲兵《ぼうぐぶき》、妖魔妖獣《ようまようじゅう》を縛《いまし》める綱《つな》も鎖《くさり》もここでしか扱わない。思い起こせばはるか南西、才国《さいこく》杷山麓《はざんふもと》の架戟へ何度足を運んだろう。洞主|梨耀《りよう》の乗る赤虎《せっこ》、これを世話する厩舎《うまや》の下男のため、鈴は何度も甲冑《よろい》を買いに通った。
ごく普通の戚幟《ぶきや》と違い、架戟の商《あきな》う武器にはあまり表立っては言われない別の特質がある。——仙《せん》を斬《き》ることができるのだ。
郷長ともなれば、身分は下大夫《げだいぶ》、れっきとした仙だった。これを傷つけるには特殊な太刀《たち》が必要になる。
鈴は店の中を物色し、短剣を選んだ。使い方など知らないが、とにかくそれが必要だった。架戟は滅多《めった》な客には冬器を売らない。采王が裏書きしてくれた旌券《りょけん》がはじめて役に立った。
次いで向かったのは騎商《きしょう》だった。騎獣《きじゅう》を扱う特殊な商人。馬や牛には用がない。鈴が用のあるのは、馬以上に脚が速く、どんな障壁も乗り越えられる騎獣だった。
騎獣にする妖獣は黄海《こうかい》で生《い》け捕《ど》る。妖魔の跋扈《ばっこ》する黄海で妖獣を捕らえる狩人《かりゅうど》たちは、猟《りょう》戸師《しし》と呼ばれる。妖獣を猟《と》って帰るより、仲間の死体を猟って帰ることのほうが圧倒的に多いからだった。猟戸師が捕らえた妖獣を調教し、騎獣にしたてる騎商もまた死と隣り合わせの商売だった。だから、騎獣はおおむね高価だ。最高と呼ばれる騎獣|※[#「馬+芻」、unicode9a36]虞《すうぐ》は、捕らえることができ、馴《な》らすことができれば、それで一生生活できるという。
鈴は店の中に入る。小さな店の中では中年の男がひとり、帳面を繰《く》っていた。
「——いらっしゃい」
男は目線を上げただけで言う。顔の右|頬《ほお》から頭頂にかけてひどい疵《きず》がある。右目も無惨《むざん》に潰《つぶ》れていた。
「騎獣がほしいのだけど」
「——いくら?」
いくら出せるか、と男は訊《き》いてくる。鈴は卓の上に為替《いてい》を置いた。
「これで買えるものがほしいの」
男は為替を見て、軽く鼻を鳴らす。
「飛べるほうがいい? 速いほうがいい?」
「飛べるほうがいいわ。よく言うことをきく騎獣がほしいの」
「鳥は乗れるのかい」
妖鳥《ようちょう》に騎乗するのは、たやすいことではない。
「いいえ。——できれば馬がいいんだけど」
「じゃあ、三騅《さんすい》だね。それ以上は無理だ」
「それは、どういう獣《けもの》?」
「青毛の馬だよ。飛空するというほど飛びゃあしないが、脚力だけはある。そこそこの河を越えるぐらいなら役に立つ。脚はたいして速くない。まあ、馬の三倍ってとこだが、息切れするのも早い。それで良けりゃあ、よく馴《な》れたのがいる」
鈴はうなずいた。
「それでいいわ」
「どこにいるんだ?」
男がそう訊《き》いたのは、騎獣《きじゅう》は街にはいないからだ。鈴は自分の名と、宿泊している宿の名を教えた。
「——連れていく。七日ってとこだな。三日でほしけりゃ三騅に走らせるから、一日は使えないよ。主《あるじ》を換えたばかりだと、休ませてやらにゃあならないからな」
「七日でいいわ」
「半金だけ貰《もら》うよ。残金は荷と引き換えだ」
鈴はうなずいた。
「それでいい。待ってるわ」
待っている、という言葉どおり、鈴は残金で食いつなぎながら宿で騎獣を待っていた。あこがれたはずの堯天。凌雲山《りょううんざん》の麓《ふもと》にひろがる階段状の街。
感銘は受けなかった。清秀がいないことがひたすら悲しかった。
——ここが堯天よ、清秀。
見上げる凌雲山の山頂に、王宮はある。そこに景王がいる。——昇紘を許している愚劣《ぐれつ》の王が。
鈴は懐《ふところ》短剣を握りしめた。昇紘を切りつけ、返す刀で騎獣で堯天にとってかえし、采王《さいおう》の裏書きした旌券《りょけん》を利用して景王に面会する。
どんな罵声《ばせい》を吐きかけてやろう。昇紘は——畢竟《ひっきょう》景王は、不幸な慶《けい》の子供を殺した。
店の者の予告どおり、七日後には三騅が届いた。使いの男は鈴に香毬《こうきゅう》を渡す。
香毬は中に香を入れて焚《た》き、それを帯につけるための小さな丸い飾りだった。中には騎商たちが調合した香が入っている。これを強く焚いて、騎商たちは妖獣を手懐《てなづ》けるのだ。他人に売り渡されても、妖獣は香の匂いに惹《ひ》かれてさして疑問を浮かべない。それから徐々に香の量を減らして、主人の匂いを覚えさせる。
だが、鈴には興味のないことだ。鈴を覚えてくれなくてもいい。堯天にとってかえしたあとなら、乗り潰《つぶ》れてしまってもいい。
鈴は三日堯天に留まって三騅《さんすい》を馴《な》らし、止水郷は拓峰へ向けて帰途についた。
——清秀、じきに仇《かたき》を討《う》ってあげる。
昇紘にも景王にも、清秀の苦しみを分からせてやるのだ。